2009年4月27日月曜日

Sさんち2006.4.26

昨日は、同期隊員のSさんの家に泊めてもらいました。

Sさんは、先月に引っ越しをして、今は一人暮らしのような生活をこの家でしています。
部屋は、台所とおふろ、それに寝室が1つです。ここに私たち3人が泊まりました。
部屋の外には、アマーカ(ハンモック)があって、ちょっとうらやましい感じです。

9時半のバスでダビからサンチアゴに帰ってきました。ここで、2人の隊員と別れ家に戻りました。

明後日にはホンジュラスに出発するので、今日のうちに洗濯しておかなければ・・・。

国立公園の散策2009.4.25

せっかく来たボルカンをこのまま帰るのはもったいないので、ここの山からコスタリカまで広がっている、「ラ・アミスター国立公園」を歩くことにしました。

この町の上にあるセロプンタという町からタクシーで、この公園の入り口まで行きました。

公園の入り口には「アナム」(環境省)の事務所があります。そこでこのお兄さんに3ドル(300円)払ってから出発。

1時間ちょっと歩いて、目的地の滝に到着。
そしてしばし休憩。
途中の道には、草花や鳥や動物たちが私たちを出迎えてくれました。
約3時間の男4人の山歩きも、たまにはいいものですね。

Tさんの仕事2009.4.24

ボルカンという町の特別養護庁のリハビリセンターで働くT隊員の手伝いをしてきました。
彼女は、現職参加で働く理学療法士(病気やケガにより、日常生活に支障をきたした方々に対して、起き上がり、 立ち上がり、歩行などの基本的な動作能力の回復をはかる、身体的なリハビリテーションに携わる職種です。)です。

今日は、彼女の働くセンターでの活動の発表を行いました。私は、彼女が週に1回リハビリに通っている、ハイメくん(20歳)を迎えに行きました。ハイメくんは、生まれつき、自分の力では動くことができません。手や足を自由に動かすことが出来ないばかりでなく、言葉を理解することもできません。その彼を、連れてきてあげる手伝いから始めました。

次の私の仕事は、折り紙作りコーナーの先生です。初めて作ったハト?をうれしそうに持って写真を撮ってくれという、このおじさんは、次の少年に教える先生にかわっていました。

10時から3時まででしたが、彼女の仕事は、ここに住む障害を持つ子どもたちにとって、とても大切な活動です。そのことを肌で感じることができた、意義のある一日でした。

この日の夜は、そのこずえさんの家で、手伝った6人の隊員たちと、のこった手巻き寿司をおなかいっぱい食べました。
私は、11頃からの記憶がなくなって・・・。

地図屋さんと木材屋さん2009.4.23

7:00出勤
今日の予定の確認

7:10授業参観
高校1年Oクラスの数学の授業を参観。ネレイダ先生の「絶対値」の授業を熱心に聞く生徒たちの顔がとてもすばらしい。

11:30地図屋
前日に頼んでおいた、ベラグアス県内の学校の場所が分かる地図をもらいに行く。
赤のインクがなくなってしまったということで、明日また来ることになってしまった。

1:30木材屋
以前頼んでおいた教材のブロックを受け取りに行く。45ドルは教育省に支払ってもらった。再度交渉し、一つずつに切ってもらうことにした。追加料金の20ドルはJICAのお金(支援経費)から出すことにする。

2:00帰り道
教育省からの帰り道、マンゴー採りをするおじさん発見。
しばらくして、知り合いの乗るトラックがマンゴーの木に突入。
何と、このおじさんのためにマンゴーを採ってあげているよう。
こんなところがパナマらしくていいなぁ、と感じた1日の終わりでした。

パソコン不調2009.4.22

パソコンのアダプターがついに切れてしまいました。
朝から、Tさんに修理してもらい、何とか使うことが出来るようになりました。
Tさんに感謝!

今日の仕事は・・・。
①セミナーの教室借用書を校長先生に提出。
②セミナー当日の日程表作成。
③文房具屋さんでセミナー教材の見積書を作成せいてもらう。
④県の拡大地図の交渉。
⑤ハイメの家に電動のこぎりを見に行く(教材作成のため)。
⑥ホームセンターでのこぎりの歯を買う。

ハイメの家からの帰り道、ノルマル校の生徒(アリアミ)に会って、写真を一緒に撮りました。
夕方、ちょっと寄り道して、一杯飲んで帰りました。

Tさんとの2日目の仕事が、こうして終わりました。

2009年4月22日水曜日

Tさんと初仕事2009.4.21

短期ボランティアとして来てもらったTさんと一緒に初仕事をしました。
始めは数学科の先生が授業をしている教室をまわり、自己紹介。生徒たちは、若いT先生に熱い視線を送っていました。
私は一緒にまわりながら、写真係。

体育館に行くとバレーボールの授業をしようとしていました。始めに整列して出席を確認。そのとき、このキン肉マンのような先生が、「シャツは中に入れるように!」と一言。この言葉に私はひそかに感動。パナマの高校生の授業でもシャツを中に入れるようにするということに。

あるクラスでは、休み時間に生徒の一人が時間割表を作っていました。こんなところは、日本と同じですね。これにも感心したので写真を一枚。

午後は、算数セミナーの資料作りをしました。資料を順番に並べ、それをコピー屋さんに持って行き、5部だけ製本しました。このうち2部を教育省に提出しに行きました。この担当のラケルさんはバカシオネス(夏休み)中。彼女の秘書のアナマリアさんにお願いしました。彼女はいつもやさしく私たちの援助をしてくれます。今日はそのアナと一緒に写真を撮らせてもらいました。

2009年4月21日火曜日

朝会2時間2009.4.20

 今日の朝会は今までで最も長い朝会でした。いつものように7時から始まった朝会が終わったのは45分後でした。
 最初の写真は、数学科のホセ・ゴンザレス先生が表彰されているところです。聞くと、カニャーサスという町の山間部の貧しい人たちに、彼と生徒たちで援助したことに対するもののようです。服や食べ物などを集めて寄付したのだそうです。先生のもう一つの顔を見たような気がしました。
 この後に、ミサ(お葬式)のようなことが始まりました。白い服を着ているのが、本物の牧師さんであり、ノルマルの宗教の先生です。約1時間の儀式の後、ミサで行うように薄いパンのようなものを口に入れる儀式が行われていきました。
希望する人が並びます。2千人の生徒がいる学校です。その列がどれくらいになったかは皆さんの想像以上です。私は、9時近くになり、この途中で体育館を後にしました。これは、数日前に亡くなった教師の家族の冥福を祈るために行ったようです。
 今日は、短期ボランティアのTさんが、ノルマルに着任しました。夜は、そのTさんと調整員のIさんたちを囲んで、サンチアゴのメンバーで夕食会をしました。
 夕暮れ時のインテルアメリカーノ(アメリカからパナマまでつないでいる大通り)を撮ってみました。見慣れた光景も、夕日に照らされているためか、始めてきた頃のような新鮮な場所に思われました。
 おいしいピザを食べた後は、向かいの店で、私のおすすめの焼き魚をつつっきながら、楽しい一時が過ぎました。
 明日から、2人で算数セミナーの準備をしていきます。私が教えてもらわなければ行けないことは、山積みです。一生のうちでも一回り以上若い先生に、何か月間も勉強させてもらうことは、そうそうないことだとおもいます。協力隊に来なければ、こんな経験も出来なかったでしょう。
  

2009年4月20日月曜日

旅行会社へ2009.4.18

早朝6:00
サンチアゴ発のバスでパナマヘ。

AM10:30
NABILA(ナビラ)という旅行会社へ。4/28~5/4のホンジュラス行きの航空チケットの代金を払う。
387ドル(3万8千円)。
担当してくれた青いシャツのおじさんは、「エンリケ」さん。

PM1:30
隊員連絡所でTさん(短期ボランティアでノルマル校に5か月間来てくれることになった。1年前まで協力隊でパナマ在住)と算数セミナーの打ち合わせ。

PM4:30
メキシコから来たKさんと、パナマ・ビエホへ。
おみやげ屋さんで買い物。今日は「モラ」(クナ族の手工芸品)を2枚買いました。2枚で43ドル(4300円)。財布の中身が空になりました。でも、今日のモラは今まで買った中では最上級です。
おみやげ屋さんの外にいた警備の警察のおじさんと写真を撮る。

PM7:30
みんなで夕食。
メニューは、「ハンバーグカレー」。しかもすべて手作り。

4/19(日) ~AM4:30
仲間と語り、飲み、そして「風の谷のナウシカ」を読んで過ごしました。

AM7:00
起床。洗濯。朝食は、ご飯(実家から送ってもらったコシヒカリ)と昨日のハンバーグ。

 ~AM11:00
「風の谷のナウシカ」を読み切りました。
感動で胸をふるわせながらサンチアゴに向かうバスに乗りました。

2009年4月18日土曜日

新入生2009.4.17

入学してようやく1週間がたちます。
ノルマルに入ってきた高校1年生たちは、まだ初々しく授業もきちんと受けています。(先生がいないと廊下をうろうろするせいとがいますが)
今週初めての授業参観をしました。参観したのは、この新入生の数学の授業。しかも先生は、近くの学校から異動してきた新しい先生です。名前は、「フェデリコ」。
今日は、絶対値と数の大小比べでした。
絶対値とは、|5|=5、|-3|=3というように、数直線で表すと分かりますが、0からの距離のようなものです。
授業は、ゆっくりと生徒たちに教科書を読ませながら、教師が説明していく形で進んでいきました。数直線もフリーハンドで書きながら・・・。
後半は、数を大きさ順に並べていく問題です。
その練習問題に入ってからです。日本ではあり得ない光景が。先生が生徒の解くのを見て回らないのです。いや、座ってしまったのです。しかも、電話を始めたのです。
私が20人の生徒たちを見て回りました。ほとんどの生徒は練習問題ができていましたが、3人だけ分かっていませんでした。分からなかった問題は、-3と-6のどちらが大きいかと、0と-7のどちらが大きいかの問題でした。
去年も感じたことですが、生徒に練習問題をさせはじめると先生は動かなくなってしまうのです。去年は、お菓子を食べ始める先生がいたのに驚きました。やりたい放題なのは生徒も一緒です。これでは、授業中に生徒が教室を出て行っても怒れませんよね。
先生は授業をするのが仕事です。でも、授業だけではいけません。生き方や態度をみせなければよい先生は育ちません。「教育」とは「教えて育てる」と書くのです。こっちでは、教育は2つの呼び方があるようです。1つは「エンセニャーサ」(教育方法)、そしてもう1つが「エドゥカシオン」(しつけ)です。
私から言わせれば、パナマはの学校はエンセニャーサばかりを考えていると思います。もっと、エドゥカシオンをしなければ、学校ではなく学習塾になってしまいます。私のセミナーでは、このエドゥカシオンも大切に扱っていこうと思っています。

2009年4月17日金曜日

インコと事故とケーキ2009.4.16

通勤する道端にある木の上では、いつも木のつぼみを食べるリスたちがいます。
でも今日はちがったお客様がいました。緑色をした、ちょうどインコのような鳥たちが。リスと同じ実が好きなようです。5,6羽がせわしそうに、朝食を楽しんでいるようでした。
中央の通りを渡るには、車の切れ目をねらって渡ります。信号機はありません。でも、横断歩道のラインはあるんです。
日本では、信号機のない横断歩道で10台の車のうち何台が止まってくれるでしょうか?
きっとパナマは、100台通ったら、2,3台でしょうね。横断歩道の意味が全然無い国です。
そんな中央の通りで、スピードを出して急ぐ自転車と通りを横切ろうとしたタクシーがぶつかった瞬間の写真を撮りました。ぶつかって30秒後の写真です。幸い、自転車に乗っていた人にけがはありませんでした。
夕方は、近くに住む隊員の誕生会でした。
このダニーズ・カフェに注文しておいたケーキを持って、彼女のホームステイ先におじゃましました。
時間が経つにつれ、近所に住む子どもたちや親戚の子どもが次々と増えていきました。
午後9時近くになってようやく誕生ケーキの出番になりました。彼女がろうそくを消しているとなりで、この男の子もろうそくの火を一緒に消そうと頑張っていました。思わず、シャッターを押してしまいました。
この日、一番おいしかったのは、私が買っていったケーキでした。
でも、子どもたちでにぎわうこの家の雰囲気は、それ以上に私を満腹にしてくれました。

2009年4月16日木曜日

妻の誕生日2009.4.15

最近は公衆電話を使う機会がありません。
パナマでも携帯電話はほとんどの人がもっています。
(村の方は分かりませんが)
でも町には、青色の公衆電話がたくさんあります。
私は、毎日のように家族に電話しています。
今は、パソコンを使って電話できるんですよね。
私のホームステイ先では、無線LANなので24時間インターネットを使うことが出来ます。
こんな恵まれた環境の隊員ばかりではありませんので、そこのところは誤解しないでください。
インターネットは、月3000円で使い放題です。
(私は毎月、その半額の1500円払っています)
ちなみに、家賃は1万5000円です。(3食付き)
また、生活費は、月4万3000円もらっています。
ぜいたくを言えばきりがありませんが、この生活はとても恵まれていると思います。
どうしてかというと、私の家のアミンタさんは、朝7時から夕方6時まで働いて、月給3万5000円です。
掃除のおばさんたちは、朝7時から午後3時まで働いて、2万5000円だそうです。
先生は、朝7時から12時半まで働いて6~7万円くらいのようです。
給料は日本の先生の方がはるかにいいですが・・・、仕事の量が全然違いますからね。

今日は、妻の?回目の誕生日でした。
1万8000km離れたパナマから、お祝いの電話ができることに感謝したいと思います。

2009年4月15日水曜日

厄年2009.4.14

すずしくなるのを待って5日ぶりに走りました。
走り終わるころには、星が見え始めていました。
そんな時刻に、私のそばを1台の自転車が通りました。
誰かを呼ぶように口笛をふきながら。
(パナマ人は、人を呼ぶとき口笛や「プス、プス」という変な音をだします。)
目をこらして前方を見ると誰かが歩いていました。
このように、パナマの人たちはとても目がいいんです。
私も視力は1.2以上はありますが、パナマの人ははるかに私よりも目はいです。
暗闇でも歩くことができる人がいます。
昔の日本人もこうだったのかなと時々考えることがあります。

1か月ほど前、我が家から御札が届きました。
今年は厄年なので、変わりに妻がおはらいをして御札を受けてきてくれたようです。
大厄の年にパナマとは。
でも、冬のない国では、めったに風邪などひきません。
こっちに来て、最初に1度だけ体調を崩しましたが、それっきり。
日本にいるときには、睡眠時間も少なかったし、休みも少なかったので疲れが原因で体調を崩すことが多かったのだと思います。
それに比べてこちらでは・・・。
日本に戻ってからが、私にとって、本当の意味での大厄かもしれません。

2009年4月14日火曜日

始業式2009.4.13

いよいよ学校が今日から始まりました。
7時に始まる朝会にちょっと間に合いそうもないので、いつもよりも近道をしてみました。すると、その通りにある小学校では、お母さんに連れられた一年生?たちが、新しいシャツに油でびしっと固めた頭で並んでいました。

途中で、数学科のサルバドール先生の車に乗せてもらい、何とか始業式に間に合いました。始まってみると、普通の朝会と同じ感じです。ただ、新しく高校1年生として入ってきた生徒たちがいるので、いつもよりも静かな感じがします。

いつものあいさつと歌が終わると、教科ごとに先生が前に立って担当学年とクラスを言い始めました。日本の学校と同じように、一部の先生が発表するときにはずいぶん盛り上がっていました。担任は決まっていないので、担当教科の発表だけをします。各教科10人ぐらいづつ先生がいるので、その合計は120人ぐらいになります。

夕方、マルケル先生(スペイン語の先生)に電話をし、髪を切ってもらうことにしました。準備の間、スイカをごちそうになりました。冷えた甘いスイカは、外の蒸し暑さをしばし忘れさせてくれました。

明日は、7時までに行けるようにしたいと思います。

2009年4月13日月曜日

テキーラ2009.4.12

朝7時起床。
今日はここの家のお父さんの誕生日。
昨日、首都でさんざんお酒屋さんを回りましたが、セマナ・サンタ期間中ということもあり、どこも休み。
朝から、近くのスーパーでちょっと高級なお酒を買いました。
お父さんには、パナマで買ったとウソをついてしまいました。
「クン、クン」と鼻を鳴らすような鳴き声が奥の部屋の方から。
見ると、黒くて小さなこの犬が歩いてきました。
名前は、「テキーラ」。
お酒のような名前ですが、この家の次男が名づけ親。
今日から(昨日から)家族になりました。
犬があまり好きではない私もかわいいと思える子犬です。
パナマで犬ぎらいが克服できるかもと思っています。

2009年4月12日日曜日

弓具での練習開始2009.4.11

私の高校時代の部活動の恩師から弓道の道具が、先日パナマに届きました。
弓10本、かけ10こ、矢30本です。
今日は、この弓具を使っての初めての練習会でした。
今日の参加者は、7人。前回が5人だったのでちょっと多く感じました。
一夜漬けで作った、スペイン語版「弓道の目標」をみんなで読み、今日の練習を始めました。
そして、かけの付け方、弓の張り方、矢の扱い方などを体験してもらいました。
それから1時間は、弓道八節(弓を引くときの8つの動作)の練習に入りました。今日は時間の関係で、「足踏み」から「大三」までの練習をしました。
時折、(たぶん意味の通じないスペイン語で)説明し、実演していきました。集まってくれた生徒さんたちは、いつも以上に真剣な顔で聞いてくれました。
練習の後は、ちょっと遅い私の誕生会を、いつものピザ屋さんでしてくれました。ないしょで持ちこんだ「梅酒」で乾杯し、楽しい一時を過ごさせもらいました。
誕生プレゼントをもらったとき、この活動が私の帰国後も続くようなプランを立てていきたいと思いました。来年の4月。彼らが日本の私を訪ねてきてくれるとのことです。そのときに、水戸の武道館で彼らに弓を引かせてあげられたらと思います。
練習の終わりから、しとしとと雨が降り出しました。
きっと、4か月の乾期の終わりを告げる雨なんだなと思いながら、サンチアゴに向かうバスに乗りました。

2009年4月10日金曜日

満月に向かって2009.4.9

満月ってスペイン語で「Luna llena」(いっぱいの月)って言います。日本語と同じですね。
ちょっと遅い朝食の後、お母さんが、「ケイ、これ作ったの。デュルセ・デ・ナランハって言うのよ。作り方は、前の(デュルセ・デ・マラニョン)と同じなんだけど。」と出してくれたものがこれです。ナランハは、みかんです。確かに言われてみれば、ナランハのにおいがするような・・・。食べてみると、ほぼ前と同じ。手間をかけて作ってくれたことに感謝。今度は、アリ攻撃を受けないようにすばやくたいらげてしまいました。
今日は、セマナ・サンタ休みです。スペイン語の勉強をしていました。ここパナマ隊員の中でも、まず一番スペイン語が話せない隊員である私にとっては、言葉の勉強は義務ではなく、やらざるを得ないものなのです。友達になるにも、言葉が出来なければ進展がありませんからね。今日の勉強の一つを紹介します。
¿Qué te parece Kyoto?
(京都についてどう思う?)
Creo que realmente vale la pena visitar esta milenaria ciudad.
(実際、この1000年都市を訪れる価値があると思うよ。)
※ vale la pena +動詞の原形 「~する価値がある。」
【例文】
Vale la pena aprender inglés.
(英語は学ぶ価値がある。)
きっと、明日には忘れてしまうでしょうが、忘れてもやらないよりはいいと思ってやっています。
一日ずっと家にいたので、夕方涼しくなってから走ってきました。走り終わる頃、ふと上を見ると満月でした。とてもきれいな満月が私を見ていてくれている気がしました。

2009年4月9日木曜日

始業式を前に2009.4.8

月曜日に始業式を迎えます。明日と明後日は、セマナ・サンタ休み(キリストの復活祭)なので、今日はその前の最後の出勤日になります。
この日は、各教科ごとに話し合いが行われました。
話は2時間ほど続き、話の内容はよく分かりませんでしたが、「先生方の学年の担当は2年ごとに替えるべきだ。」などの意見が出ていたようです。
新しい先生が2人いました。ここでも先生の異動はあるようです。
途中から県の教育省の算数担当の方が来て、今年から小学5年生の生徒の学習に力を入れていく計画があると言っていました。それなら、小学校低学年に力を入れた方が・・・。と思う私でした。
とにかく、久しぶりにみんなそろい、月曜日から新年度が動き出すんだなと実感した一日でした。

2009年4月8日水曜日

昼休みにレモン採り2009.4.7

昨日から、先生方が
出勤しはじめました。4か月ぶりに学校が学校らしくなってきたように思えます。

今日は、算数のセミナーで使う材料を注文に、材木屋さんに行きました。何を注文したかというと、低学年の算数セットにあるような、サイコロ型の木です。足し算や引き算の学習でで使いたいからです。
学校内で、先生方に配達物を届ける仕事をしているグリマルドさんに頼んで、車で連れて行ってもらいました。材木屋さんで注文した後は、あちこちの店に学校からの文書を届けに行きました。初めて、サンチアゴのラジオ放送をしている「ラジオ・サンチアゴ」のスタジオにも行きました。

昼食をすませると、ノルマルの車の運転手の彼が棒を持ってレモンを採っていました。どうやら秘書の彼女のために採ってあげている様子です。私がカメラを向けると、恥ずかしげに、でもどんな風に撮れたかしっかりと確認する彼女。「この人たちがレモンを盗んでいたよ。」と写真付きで日本に送るからと言うと、ちょっとうけたようです。

2枚目の写真は、昨日お母さんが作っていた「デュルセ・デ・マラニョン」の完成形です。学校から帰った後、もらって食べました。味は・・・、あまい!そして、干し柿のようなにおい。入っていた器を30分ほどそのままにしておいたら、アリの大群が・・・。どれだけ砂糖を入れたのかこれで分かります。太るはずだと納得。

最後の写真は、3/14の1日だけ咲いたラン科の「オルケリア」という花が、また咲いたのです。枯れた花と同じ場所から咲いていました。明日にはまた枯れてしまう花をレンズに納めることができました。