2009年3月30日月曜日

プエルト・ムチスとアタラジャ2009.3.29

6時40分のベルの音に体が目を覚まさず、起きたのは7時近くでした。昨日、久しぶりに夜更かししてしまったつけが回ってきたのでしょう。
今日は、とにかくどこかに出かけると決
めていました。候補は、3か所。そのうちの一番遠い「サンタ・カタリーナ」はあきらめ、残りの2か所に行くことにしました。
11時のバスで最初に向かったのは、「プエルト・ムチス」という1時間ほどの所にある
小さな町です。ここは、コイバ島に向かうランチャ(渡し船)がある所でもあるので、小さい町にしては、おしゃれなレストランがあります。
私が昼食を食べたのが、「モンティーホス・ベイ」です。ここで最も有名でおいしと言われているレストランです。そこで小舟を眺めながらおいしい魚料理を堪能しました(約900円)。
バスの出発まで少し時間があったので、近くのお店でちょっと茶がった眺めでコーヒー(50円)を飲みました。このコーヒーがあまりに熱く、バスを1本乗りそびれてしまいました。
それからもう1か所。前に走っていったことのある「アタラジャの教会」です。今回はもちろんバスで行きました。夜の教会も見事でしたが、昼間の方が、人々の普段の姿が見れて私は好きです。
日曜の夕方と言うこともあり、教会の中にはほとんど人がいませんでした。写真を撮ってもいいということだったので何枚か撮らせてもらい増しt。特に天井に描いてあった、キリストが生まれてから処刑されるまでの絵が印象的でした。
わずか半日の小旅行でしたが、知らない土地に行って知らなかったことを知る(体験する)っていいものだなと感じることができました。
次は、サンタ・カタリーナという海沿いの町に行ってみたいと思っています。

2009年3月29日日曜日

ガン患者のための活動2009.3.28

今日は、ここサンチアゴ市の一人のお医者さんの呼びかけで、数年前から始まった「ガン患者へのお金の支援を目的にしたイベント」へ参加してきました。
私が持っているのが、その旗です。14か国の方々が町中をパレードしました。私たち日本もその一つです。
日本のブースでは、折り紙を一緒に作る活動をしました。この日のリーダーのWさんを中心に、Tさんと私、そしてJICAからはRさん、そして彼女の妹さんの5人で折り紙を教えました。前の人が終わるのを待って、次々に来る子どもたちと薄明かりの中、折り紙作りに熱中しました。
4人だけでステージで踊ったよさこいも気持ちよく出来ました。
パナマの蒸し暑い夏の夜も、今夜は少し気分良く感じました。
1年ちょっと前に、ガンで他界した私のおばあちゃんも、見ていてくれたでしょうか。

2009年3月28日土曜日

私の仕事2009.3.27

今日の夜、久しぶりに雨が降りました。乾期の雨は本当にめずらしく、なつかしささえ覚えます。夕方走る前から、空がどんよりと曇っていました。その雨も15分ほどでやんでしまいました。庭の草花には物足りないくらいの雨だった感じです。
今日の仕事はこんな感じです。のんびりとだらだらと。そんなことが許されてしまうことが、ここパナマの長所であり短所です。大学をする卒業してここに来ていたら、だらだら人間に成長して日本に帰国してしまっていたかもしれないという危機感を感じます。
日本で15年教師をしていて、今が一番のんびりした時間を過ごしているかもしれません。それは良いことなのかもしれないと自分に言い聞かせ、あと1年自分のペースで頑張ります。

2009年3月27日金曜日

誕生プレゼント2009.3.26

朝食を食べていると、「フェリス・クンプレアニョス」(誕生日おめでとう)と、お母さんがプレゼントをくれました。
開けてみると、このノルマルのポロシャツが、しかも「Keiichi」とネーム入りで。
わざわざパナマから取り寄せてくれたようです。
今日はこれを着て仕事にいきました。
まずは図書室に。パナマ通信にのせる花の名前がわからず、調べるためです。でも結局1つしか調べることができず、あとは彼らとおしゃべりしました。
写真の男性は、日本語に興味を持つアレクサンデルさん。図書室で何度か話したことがある友達のような関係です。
このおばさんはイスマエラさん。初めて話しましたが、親切に花の本を探してくれました。
1時間ちょっと話をして、算数部屋へ。
今日の昼食は、スペシャル? 手前の赤い色をしたのは、じゃがいもを赤くした物です。右側の小さな器に入っているのは、アロス・コン・レチェ(牛乳ご飯)です。だんだんこの料理にも舌が慣れてきました。
本当にいろいろと気を遣ってくれるお母さんに感謝しています。
今、夜の10時になろうとしています。やっと温度計が30度まで下がりました。
パナマの3月は日本の8月と同じくらいに暑いんですよ。
でも、今日の夕方も10km走りました。暑い中走るって気持ちいいものですよ。

2009年3月26日木曜日

マンゴーと仕事2009.3.25

今日は、「ディア・デ・エンカルナシオン」です。
イエス・キリストが生まれたのは12月25日です。この日は「クリスマス」。キリストの誕生を祝う日です。
その日から10か月さかのぼった3月25日は、聖母マリアが、お腹の中でキリストを身ごもった日です。これが「エンカルナシオン」です。
カトリックでは、この日、肉を食べない習慣があるようです。(カットリックでは、神聖な日には肉を食べないことが多いです。)
今日は、朝から鍵を忘れ取りに帰りました。あまりの暑さに途中のパン屋でアイスクリーム(30円)を買ったのですが、アイスがくずれ1/3ほど落ちてしまいました。今日は不運続きかも?
算数部屋から見える木には、マンゴーの実がたわわになっています。4月に入る頃には食べ頃でしょうね。
今日の仕事は、いつものように算数セミナーの授業のプランをスペイン語にすることです。このときばかりは、スペイン語力のなさに情けなくなりちょっと落ち込みます。
こんなペースで、5月に間に合うのか心配です。
3度目の不運は、洗って干す直前にバスタオルを庭に落としてしまったことでした。

Mさんの誕生会2009.3.24

今日は、ここサンチアゴに住む専門家のMさんの誕生日です。
いつも夕方、私が走っていると、よく彼女に出会います。その時間は、彼女がエアロビクスに行く時間のようです。
そんな感じで、話をする機会が何度かあり、この誕生会にも招待してもらったのです。
JICAの専門家とは、自分の専門的な知識や経験を生かして、任国での様々なプロジェクト(援助の計画)を行っている人たちです。私たちと違って、仕事として行っているので給料をもらっています。私はホームステイ(パナマの家族と一緒に生活する)ですが、彼女は一軒家を借りて住んでいます。物価が安いこともあり、とても大きくてきれいな家に住んでいました。裏庭には、写真のようなパーティー会場にもなる離れがありました。
この日は、手巻き寿司、どら焼きなど日本料理をお腹いっぱい食べさせてもらいました。
彼女は英語もスペイン語もぺらぺらです。日本に16年も帰っていないようです。

2009年3月24日火曜日

WBC決勝2009.3.23

今、WBC決勝の日本対韓国の試合が行われています。
ここパナマは野球の人気があり、WBCの予選にも出場しています。
結果は、プエルトリコとドミニカ共和国に大差で負けてしまいましたが。
ところで、日本対韓国の試合にどのくらいのパナマ人が関心があるか聞いてみました。
この家の家族、興味なし。
パナマで弓道の練習に来ている生徒の一人、やっているのは知っている程度。
今日、算数部屋に遊びに来た日本に興味を持っている男の子、知っていた。
というわけで、野球が比較的盛んなパナマでも、日本が決勝で今夜優勝をかけて韓国と試合をするということに余り関心がないというい結果になってしましました。
あくまでも小数のパナマ人にしか聞いていないので、本当のところはわかりません。
パナマでは、中学や高校で部活動やクラブ活動を熱心にするというレベルにはなっていません。
だから、前回のオリンピックにも国から5人しか出場しませんでした。
運動能力はあっても、運動に力を入れてはいないのです。
ここは日本とは大きくちがっているところですね。
そのかわり、暇な時間がたくさんあるので、時間がゆっくりとしています。
日本は時間に追われて生活している感じだということが、パナマと比べるとはっきりわかります。
運動能力は高いのに、もったいない感じがします。これから運動面でも伸びていく国だと思います。
といううちに、2回の表、未だ0対0です。
外国に住んでいても、日本人としてこの試合を最後まで応援したいと思っています。

2009年3月23日月曜日

6回目の弓道練習会2009.3.21

いつも時間通りに迎えに来てくれる、この練習会をまとめるノリエガ先生。そして、練習開始の9時30分前から練習を始めている練習生たち。パナマに来てこんなまじめな方たちもいるということは、私のパナマ嫌いを和らげてくれます。
今日の練習生は4人だけ。最初20人以上いたことを考えると、だいぶ減ってきました。今日の練習は、実際に弓とかけをつけてもらってイメージをもってもらうことから入りました。やったことは前回と同じ立射(立って打つ弓道の型)です。今日のポイントは、視線の置き方と間合いです。
難しいことはさておき、彼らを紹介します。
手前から2人子を持つデリア、次がフォードの車を乗る20歳のクリスティアン、3番目がちょっと飽きっぽい長身のホセ、一番後ろがノリエガ先生の片腕のロスマリーです。この日は、練習後みんなでピザを食べに行きました。食べながら、来年の4月に先生(私)のところに桜を見に行きますから、とのこと。本当に来そうな気配。そのときまでにみんな弓が引けるようにしてあげたいと思っています。

エル・バジェ2日目2009.3.20

8時からの朝食。広い庭の一角にある丸くて白い円卓。周りには、ハチドリやリスが。そんな中での朝食。何か時間が止まっているかのような優雅な朝食。フルーツとパン。にわとり君と一緒に食べました。
今日は動物園に。動物園の人気者「黄金のカエル」が、ガラスケースの中で私たちを出迎えてくれました。
そして自転車を借りてサイクリング。エル・バジェの温泉まで足を伸ばしてみました。観光地だけあってマッサージ50ドル(5000円)。値段だけ見て帰ってきました。
Hさんの仕事は看護士さん。それも訪問看護(病院に来れないおじいさんやおばあさんのところに様子を見に行く仕事)です。彼女は今まで勤めていた東京の病院を退職し、4月から茨城県の病院で働くそうです。彼女は、アメリカの学校に通い、英語とフランス語を話せます。また、タイで4年間働いていたこともありあます。そして今は、自分のしたい仕事(訪問介護)をするために、この茨城まで来るのです。
パナマに来てから、今までに知り合ったことのないタイプの方々に出会うことが多いです。その誰もが、私の持っていないすごいものを持っています。ここに来なければそんなこともあまり考えずに過ごしていたでしょう。こんな経験を教え子達にもしてもらえたらと、考えた一日でした。

私のエスピリート・サント2009.3.19

4度目のエル・バジェ。
3度目に来たとき、パナマの国花「エスピリート・サント」のオーナーになりました。アプロバカの施設の中にありました。私の名前「いさか」が書いてある札が。9月に咲く頃にまた訪れたいと思っています。
今日は、日本から来た方と山を登って来ました。前にも登ったことのある丘のような山です。ここから見るエル・バジェの町並みは最高なんです。丘の上の涼しい風を浴びながら、しばし休憩。
今日は奮発して、この町の有名なホステル(1軒家)を借りました。写真の左端のHさん(パナマに住む日本人、元協力隊員)の紹介で、朝食付きで1人30ドル(約3000円)にしてもらいました。広い庭ときれいな花々に囲まれたこのホステルは、エル・バジェの町からちょっとはずれたところにある隠れ家的な雰囲気がありました。
こうして、1日目が過ぎました。

2009年3月19日木曜日

かけ算のちがい2009.3.18

今日は、かけ算の指導案が書けずにずっとなやんでいました。
上がガテマラの教科書、下が日本の教科書です。
次の問題を解いてみてください。
【問題】
 一つのお皿にケーキが2つずつのっています。このお皿が4つ分あります。ケーキは全部でいくつでしょう。

【答え】
 式 4 × 2 = 8   答え 8 こ

みなさんは正解しましたか? ちがう? パナマやガテマラではこれが正解なのです。
もし日本なら、式が間違いでしょうね。
もちろん、2×4 ですね。 2つずつ、4つ分だからですよね。
どうして 4×2 なのか教科書を見てみると、4つ分、2このケーキがあると考えるからのようです。
こうなると、九九もややこしくなります。
2の段は、1×2
      2×2 
      3×2
      4×2 となっていくのです。
これが何倍という考え方にも適用されます。スペイン語の並びでは、「4倍する2を」となりますから、4×2なんです。
算数は世界共通でなければならないはずなのに、おかしいですよね。
この間、知り合いの娘さん(今度小学3年生)がかけ算を教えて欲しいと私の部屋に来ました。
3の段が分からないというので、その意味をこう説明しました。

 1つの袋の中にリンゴが3個入っています。1袋買うと、リンゴは合計3個です。
 これが、3×1=3 の意味です。(小さなボールを使って説明しました)
 それでは、3×2=6 の「3」は何のこと? 次に「2」は何のこと? じゃあ「6」は?

こんなことを2日間に渡って合計3時間。
結局彼女はこの意味が分かりませんでした。3の段の九九は、おおよそできます。
でも、意味は全く分かっていません。
だから、文章問題になると出来なくなってしまうんです。
かけ算ができなくても生きてはゆけます。でも、生活の中で使える場面はたくさんあるのです。
パナマの子どもたちは、分かったふりをするのは上手です。
でも分からないことをかくさずに、とことん先生に意味を説明してもらうことが大切ではないでしょうか。
先生も上手に説明する技術を身につけなければなりませんが。
その手助けができれば、パナマに来た意味があるというものです。

2009年3月18日水曜日

あと1年2009.3.17

ブログのカウントダウンタイマーは、パナマでの残りの活動期間を示しています。来年の3月17日の午前中の飛行機でパナマを後にします。
やっと残り1年です。やっと・・・。
こちらに来てまだ9か月。残りは12か月。折り返し地点にも来ていませんが、今はこんな気分です。
まだ、日本にいるときに描いていたような活動もできていませんが、今はこんな気分です。
6か月ぐらい過ぎれば、1年ぐらい過ぎればスペイン語をぺらぺらとしゃべれるよと言われていたにもかかわらず、いまだに全然話せないので、今はこんな気分なのかもしれません。
言葉がなくても心は通じるという言葉を信じて頑張っていますが、そうそう甘い場面はありません。
でも、道に咲くきれいな花は話せなくても、私をすがすがしい気分にしてくれます。こんな花にもなれないでいる私にとって、これからの1年はきっと長く感じるでしょう。
来週、母校の教え子たちが小学校を卒業します。
子どもたちに贈るメッセージを書きながら、その言葉が私の心にしみました。

        卒業する6年生のみなさんへ
 今日 卒業するんですね 今 どんな気分ですか
 悲しい曲が頭の中を流れたりしている人はいませんか
 それはいけません 中学校って小学校以上にドラマがあるのですから
 まずは 部活動を決めなさい
 できるかどうかで決めるのではいけませんよ
 自分をどう試したいかで決めるのです
 先生もみんなに負けないように これからも自分を試していきたいと思います
 次にみんなに会うときを楽しみにしています
 おくれましたが 卒業おめでとう
 1年後に会える日を 楽しみにしています

2009年3月17日火曜日

ゴキブリとペーニャ2009.3.16

金曜日にまいた薬が効いたのでしょう。廊下のあちこちに「ゴキブリ」が死んでいました。
私の算数部屋は2階にあります。今日はこの2階にある教室のドアや黒板を、修理担当のペーニャさん(黄色いシャツ)が直していました。
教室のドアは、木製で思いせいか、どのドアも下側がひっかかって開きづらくなっていました。重いドアを外し、下を削りまた付けるという作業です。この階の30ぐらいのドアを手早く直していく彼をみていると、日本の学校で一緒に働いていた用務員さんを思い出しました。
明日は、私の部屋のドアを直してもらうことを約束して、学校を後にしました。

日本対キューバ2009.3.15

今日も一日家にいました。
算数セミナーの準備をするためでしたが、なかなか思うように仕事が進まず、結局、3時間分の指導案しか書けませんでした。
この日、午後5時からWBCの第2ラウンドの日本対キューバ戦がありました。私は画像無しでのインターネット観戦でしたが、十分に緊張感が伝わる試合でした。
日本の得点が入るたびに喜び、日本がピンチになったときには祈るような思いで、その経過を見ていました。
5回表から走る時間になったので、場を離れていましたが、帰ってきたとき、ちょうど9回裏でした。
体からひたたる汗をぬぐいながら、6対0の日本の勝利に心おどる気持ちになっていました。
外国にいるからでしょうか。
日本人の活躍を知ると、本当に嬉しいんです。
そんなときです、日本にいるとき以上に日本人であることに誇りを持てるのは。
次の韓国戦も楽しみたいと思います。

2009年3月15日日曜日

結婚記念日2009.3.14

今日は、結婚して12回目の結婚記念日です。
日本ではホワイトデー。
パナマではこんな習慣は、ありません。
さっき行ったスーパーでも、ホワイトデーのコーナーはありませんでした。

12年前のホワイトデーに結婚式を挙げました。
あのときは私が29歳。妻は25歳。
ずいぶん昔のようにも感じます。
その時に、パナマに来るなんて考えもしていませんでした。
はじめて別々に迎えるこの日。
来年のこの日も。
ここに来る前のいろいろなことを思い出した日でした。

今日、庭に置いてあった鉢植えに、きれいなランが咲いていました。
真っ白(ホワイト)で、とっても可憐な花。
名前を調べると「Sobralia(ソブラリア)」と言うようです。
スペイン語で「Sobre(ソブレ)」は、「そばに、近くに」という意味があります。
この花は、1年で1日ぐらいしか咲かないようです。

今日、咲いたのはきっと、偶然ではない気がします。
この花のおかげで、結婚してから今までのことを考えることができました。

薬剤散布2009.3.13

私の今日一日を紹介します。
5:00 起床 
    スペイン語の勉強
    メールのチェック
    電話で家族と話す
6:30 朝食
    シャワー
7:20 家を出発
7:35 学校到着
    ビニールで算数教材をおおう
 ※今日は学校中に薬をまく日なので。
8:40 セミナーのための準備10:00 退勤
10:20 帰宅
     スペイン語の勉強
     TV(ルパン三世)を見る
12:30 昼食
     午前中と同じ
3:30 T隊員が家に来る
4:00 Tちゃんとサンチアゴ市内の散策
7:30 帰国するJ隊員を囲んでの夕食会
9:00 続いて二次会
11:20 帰宅
     シャワー
     Tちゃんとおしゃべり
1:30 寝る

今日は、いつもとは違った一日でした。私の家に泊まりに来たT隊員は、次の日、J隊員の任地の仕事を手伝いに行きました。任地では、村人にフェリア(バザー)をするようです。いらなくなった物や他の隊員から寄付してもらった物を売って、その収益金で村人のためになるものを購入します。

一番最初の写真は、「車の教習所」です。
どこで練習するかって?
いきなり道路に出て運転しているようです。
日本では考えられないですよね。 
  

2009年3月13日金曜日

評価2009.3.12

庭に咲く、セマナサンタの花も日に日に増えてきています。
今日は、JICAのEさんが私の学校に来ました。
まずは校長先生と話をしました。
私の仕事ぶりを聞くためです。でも、校長先生は私の仕事についてはほとんど知りません。というわけで、次に算数部屋で私と話をしました。私の今までの活動やこの学校の(特に数学科の先生方の)評価をしました。スペイン語も分からない私にしっかりとした評価ができるとは思いませんが、次のボランティアが必用かどうかにかかわる大事なことなので、思ったことを伝えました。
話した後、気持ちがすっきりはしたものの、何か胸の奥にひっかかるものがありました。
私の評価が果たして正しいかどうか、そこが引っかかっているのです。
日本の学校では、学年最後の通信票がもうすぐもらえますね。この通信票の評価の中には、私たち先生の大切な思いが入っています。
今日の評価にもその思いが入っています。もらう方が、それをどう受け取るかでこの後が大きく変わってきます。
そんなことを考えた一日でした。

私の学校2009.3.11

今日の午後、JICAの方が家の安全を確認しに来ることになっていました。約束の3時半に学校のそばの木陰で待っていました。木陰は、この夏のパナマの暑さをしのげる最適な場所です。風もちょっと強めに吹いていたので、なおさら気持ちがよい場所でした。
そんな場所から学校のビデオを撮ってみました。
そんなことをしているうちに、車が来ました。1時間ほど家をみてもらいました。よく見ると、危険はあります。特に、庭と接しているバスケットコートからは、ちょっとフェンスを乗り越えるだけで庭に入ることが出来ます。そこにある大きな扉は、以前、JICAが設置したことを知りました。私たちのために配慮してくれていることを改めて感謝しました。
この夜は、このJICAの方とピザ屋さんでおいしい夕食をとりました。

2009年3月11日水曜日

誕生プレゼント2009.3.10

家族から届いた、私の誕生プレゼントがあります。
息子と娘からは、この折り紙をはった絵です。毎回、子どもたちが描いた絵や手紙をもらう度に、その成長を見たい気持ちで一杯になります。
妻からは、このミスチルのCDです。今朝、この中で妻が気に入ったという「HANABI」という曲を聴いてみて、妻の気持ちがずしんと胸に響きました。
今日は、この詩を無性にブログに書いてみたくなりました。

               HANABI

どれくらいの値打ちがあるだろう?
僕が今生きているこの世界に すべてが無意味だって思える 
ちょっと疲れてんのかなぁ
手に入れたものと引き換えにして 切り捨てたいくつもの輝き
いちいち憂いていれるほど 平和な世の中じゃないし
一体どんな理想を描いたらいい?
どんな希望を抱き進んだらいい?
答えようもないその問いかけは 日常に葬られていく
君がいたらなんていうのかなぁ 「暗い」と茶化して笑うのかなぁ
その柔らかな笑顔に触れて 僕の憂鬱が吹き飛んだらいいのに

決して捕まることの出来ない 花火のような光だとしたって
 もう一回 もう一回
 もう一回 もう一回
僕はこの手を伸ばしたい 
誰も皆 悲しみを抱いている
だけど素敵な明日を願ってる 
臆病風に吹かれて 波風がたった世界を
どれだけ愛することができるだろう?

考えすぎて言葉に詰まる 自分の不器用さが嫌い
でも妙に器用に立ち振る舞う自分は それ以上に嫌い
笑っていても 泣いて過ごしていても 平等に時は流れる
未来が僕らを呼んでいる その声は今 君にも聞こえていますか?

サヨナラが迎えに来ることを 最初からわかっていたとしたって
 もう一回 もう一回
 もう一回 もう一回
何度でも君に逢いたい 
めぐり会えたことでこんなに
世界が美しく見えるなんて 
想像さえもしていない 単純だって笑うかい?
君に心からありがとうを言うよ

滞らないように 揺れて流れて
透き通ってく水のような 心であれたら
逢いたくなったときの分まで 
寂しくなったときの分まで
 もう一回 もう一回
 もう一回 もう一回
君を強く焼き付けたい 
誰も皆 問題を抱えている
だけど素敵な明日を願っている 
臆病風に吹かれて 波風がたった世界を
どれだけ愛することができるだろう?
 もう一回 もう一回
 もう一回 もう一回

2009年3月10日火曜日

おにぎり弁当と分別回収2009.3.9

今日の午前と午後も、ここオマール公園の図書館で行われている日本文化紹介の折り紙作りの手伝いをしてきました。
今日のひそかな楽しみは、このお弁当です。みなさんには、普通のお弁当に見えるかもしれませんね。実はこのお弁当、日本人が作っているお弁当なんです。それも大使専属のコックさんがですよ。だから、味も言うことなし。大使公邸には、日本人のコックさんがいます。いつもは、大使の食事や大切なお客様のための食事を作っているシェフが、このお弁当を作ってくれたのです。おにぎりとたくわんの味をかみしめながら、公園のベンチでみんなで食べました。
そのゴミを捨てようとしたときに、こんなゴミ箱を見つけました。
ゴミの分別回収用のゴミ箱です。パナマでは初めてこんなものをみかけました。これには感動。ゴミであふれているパナマには、必用なものだからです。日本文化紹介の会場には、ゴミがほとんど落ちていません。これも、日本の文化を理解してもらっているからではないでしょうか。

誕生会と送別会2009.3.8

昨日の夜は、パナマの日本大使館の公邸(大使の家)で、意見交換会(という名前の夕食会)がありました。女性の隊員が着飾る中、私は、ゆかたで参加してみました。今週は日本の文化週間ということで、私たちも折り紙教室のお手伝いをさせてもらっています。大使公邸にはこんなに立派な雛飾りがありました。わが家でも毎年作っている(妻が)ことを思い出しながら、しばらくながめました。
ちなみに、大使夫妻は前列中央のお二人です。
今日は、午前中いっぱい、隊員連絡所の大掃除をしました。私の担当は風呂とトイレ。そうじは得意分野なので、気合いを入れてみがきました。
夜のビエンデスペ(歓迎会と送別会)の間に、近くの
ハードロック・カフェというレストランで8人で昼食を食べに行きました。ここで、3月生まれの3人の誕生会をしてもらいました。みんなが用意してくれたフルーツケーキを感謝しながらいただきまいた。
夜のデスペディーダでは、20年度3次隊の1人と、18年度3次隊の12人のあいさつを、そ
れぞれがそれぞれの思いで聞き入っていました。私にとっては2度目のこの会でした。
今回は、係がなかったので、好きな写真係をしました。ファインダーの向こう側の笑顔や泣き顔には、きっと言葉にはできない喜びや悲しみがあったのではないかと思います。
でも、みんなで撮った集合写真には、充実感に満ち満ちた表情があふれていました。
もちろん、この夜は長い夜になりました。(私は3時で寝ましたが・・・。)

2009年3月8日日曜日

折り紙は世界をつなぐ2009.3.7

昨日、首都パナマシティに上がってきました。
今日は、朝からパナマの町の中を2人で走りました。40分くらいでしたが、気持ちの良い朝を迎えることができました。
午前中は弓道の練習会でした。いつもよりも人数が少なかったですが、暑い中、みんな一生懸命練習していました。今日は、入場から立射(立って打つ形)の練習をしました。まだ、弓具が日本から届かない(一回送った荷物が送り返されてしまった)ので、今日も棒1本での練習でした。
午後からは、オマール公園の図書館で行われている日本文化紹介の手伝いをしました。
彼女ら(彼ら)と鶴や風船、箱や手裏剣を作りました。約2時間でしたが、みんな写真で分かるように、喜んでくれました。
私も充実した一日を過ごすことができました。
今夜は大使館での意見交換会です。バーベキューをしながらだそうなので、これもちょっと楽しみです。

2009年3月6日金曜日

セマナ・サンタという花2009.3.5

朝、お母さんによばれて庭へ。
庭の木に咲くランの花が。
この花の名前は「セマナ・サンタ」って言うのだそうです。
これは、カルナバルが終わった日から40日たった週を、こう呼びます。
1年に1度だけ咲くこの赤くかれんなこの花は、庭のはずれの木の中程にさりげなく咲いています。
まだまだたくさんつぼみがついているので、これからしばらく私の目を楽しませてくれることでしょう。
今日のお昼過ぎ、昨日買ったパソコンデスクと本棚が、算数部屋に届きました。というわけで午らの仕事は部屋の模様替えです。本棚には、日本の算数の教科書や、他の国の算数の教科書などを整理して置きました。
4月半ばには、もう一人のボランティアがこの部屋に来てくれます。彼の机は、来週入る予定です。
午後5時を過ぎるのに、私の部屋は30度を下回りません。パナマの3月は、1年間で1番暑いそうです。それは本当だと言うことを身をもって体験しています。