2009年12月31日木曜日

年末休み初日2009.12.30

11時のバスに乗ってサンチアゴからパナマに向かいました。
明日から2泊でサンブラス諸島に、他の隊員たちと一緒に行ってきます。
サンブラスは2度目になります。
青い空と海。
海の中にはきれいな魚が。
私の目的の一つが、魚釣りです。
そのため、隊員連絡所のずっと手前でバスを降り、魚市場でえさのエビを買いました。
そこから少し歩くと、シンタコステーラに出ます。
今日はいつもよりもたくさん船が泊まっていました。
バス停を一つ飛ばしてこの道を歩いてみました。

夕方もこの道を走りました。
適度な風が蒸し暑さを和らげてくれます。

帰ったら明日の準備をしたいと思います。


2009年12月30日水曜日

約束の時間2009.12.29

昨日アンケートを渡したモニカ先生と、バス停で 8時半に待ち合わせしました。

ホセ先生が家に8時20分に車で迎えに来てくれました。
そしてバス停に8時半前に到着。
すでにモニカ先生がベンチに座って待っていてくれました。
彼女からアンケートを受け取り、サンマルチン小のエディルサ先生のところへ。
エディルサ先生は、教室にいました。
そして、「昨日来るのかと思ってたのよ。」と言いながら、アンケートをすぐに渡してくれました。
その彼女と写真を一枚。
それからインディラ先生の家へ。
彼女は家の掃除中でした。
クラクションを鳴らすと、すぐにアンケートを持って、出てきてくれました。

みんな約束の時間を守る素晴らしい先生たちです。

というわけで、今日の仕事は1時間で終了。
10時のバスで、プエルトムチスに行き、釣りを楽しんで来ました。

2009年12月29日火曜日

アンケートの回収2009.12.28

今日の午前中は、ホセ先生と私たちのセミナーについてのアンケートを回収に、小学校や先生の家に行きました。
先生方の休みは、12/31から1月終わりまでの1か月です。
学校によっては、もう休みになっている学校もあります。
田舎の学校の多くは休みに入っています。

【1枚目の写真】
最初にソナのカルメン・C・エレラ小に行きました。
そこでエリセニア先生にアンケートを書いてもらい、写真を一枚。

【2枚目の写真】
ロス・アルガロボス小のニディア先生は、頼んでおいたアンケートを書いて待っていてくれました。
アンケートを眺めながら一枚。

【3枚目の写真】
ラス・バレーラス小では、4人の先生から頼んでおいたアンケートを回収。
1人の先生からは未回収。
校長のレティシア先生(ホセの隣)と4年担当のデリア先生と一枚。


【4枚目の写真】
学校が休みに入った、ラ・マタ小のルス先生の家におじゃましました。
校長先生を兼ねる彼女は、こんな新しい家に住んでいました。
髪の毛をカール中だったので、写真はまずいということで、家の写真を一枚。
飲み物とお菓子をごちそうになり、今日の仕事は終了。

明日は、今日回れなかった学校に行く予定です。







2009年12月28日月曜日

プエルト・アルムエージェスへ2009.12.27

S隊員が作ってくれた温かいスープをごちそうになり、9時近くにここを出発。

まだ行ったことのない「プエルト・アルムエージェス」という町に行くことにしました。
ここは、コスタリカとの国境近くにある太平洋側の港町です。
ダビからバスで2時間半ほどで着きました。
バスの終点から歩くとすぐに海岸に出ました。
波の音とほどよい風に感動!
ふと見ると、海に突き出した大きな桟橋が。
今は、大きな舟は停泊していないよう。
昔はここに大きな舟が往来していたのでしょう。
足元を見ると、2本のレールが。
荷物を貨車に載せて運んだ名残でしょう。
その桟橋を先まで歩いてみました。
だんだん、足下の木が腐ってなくなっている部分が増えていきます。
だんだん怖くなり・・・。
でも一番先まで行って、そこでおやつタイム。

せっかくなので、ちょっと釣りを。
エサのエビが売っていなかったので、ルアーで。
やはり釣れません。
でも、釣っているそばを大きなふぐがゆうゆうと泳いでいきます。

近くで釣っている人も・・・。
何かがかかったよう。
おばさんがあわてています。
釣り糸を引き上げると、こんなイセエビ?のようなエビを釣り上げていました。
エサはイカだそうです。
私もエビさえあれば・・・、という思いを抱きながら、写真を撮らせてもらいました。

悔しいので、帰りに近くの食堂で魚のフライ定食を食べてから帰りました。

こうして私のカリブ海側と太平洋側まで1泊2日で行く、小旅行は終わりを告げました。







チリキクランデという町へ2009.12.26

ノルマル高校1年生のサント・パーテルソンくんは、この休みに家に帰ります。
そこは、サンチアゴ市からバス2本を乗り継ぎ(計6時間)、舟を2つ乗り継いだ(計6時間)ところにある、カニャベラルという町(村)です。

彼が帰る今日、船着き場があるチリキグランデという町まで一緒に行ってきました。
クリスマスから年始まで、道の所々では、警察の検問が厳しくなっています。
車を止めて、一人一人身分証を見せなければなりません。
不法に外国から国に入ったりする人が増える時期だからだそうです。

朝7時半に出発したバスは、1度ダビで乗り継ぎ、午後1時過ぎにチリキグランデに着きました。
ここは、カリブ海側(大西洋側)にある町で、小さな舟がたくさん泊まっている港町です。
サントくんは、明日の舟の出発時間をおじさんに聞きました。
よく聞くと、話している言葉はスペイン語ではありませんでした。彼の住むノベ・ブクレ地区の言葉です。
ノベ・ブクレとは、パナマに昔から住んでいる原住民たちの呼び名です。
ここの港から出る舟は、ほとんどがその地区へ向かう舟です。


近くの食堂で昼食を食べてから、市場でエビをただでもらい、しばし釣りを楽しみました。
釣り竿を使い慣れていない彼に、使い方を教えながら・・・。
3時間ほどで15センチほどの小さなタイに似た魚を6匹ほど釣り上げました。
近くでは水浴びする女の子達がにぎやかです。
水はほどよく澄んでいて、波もおだやか。
水深が浅いため、大きな魚はいませんが。

釣りをしていると、小学3年生だという男の子がやってきました。
ここでタイを釣ったことがあるとか。
彼にも竿の使い方を教えました。
すると楽しそうにずっと竿をふっていました。
パナマの休みは宿題もないので、こんな感じでひまなのでしょう。

サントくんは、ここのホテルで1泊し、明日舟で家に帰ります。
私はバスでダビに戻り、同期のS隊員の家に泊めてもらいました。
来年の3月にまたノルマル校で会えることを約束して分かれました。

この夜は、ダビに住むシニア隊員のUさんの家でおいしいお肉をごちそうになりました。








2009年12月26日土曜日

クリスマスプレゼント2009.12.25

パナマから戻ると、アミンタお母さんからプレゼントが。
カードには、「家族から」と。
さっそく開けてみると、
こんなすてきなネクタイが。
そして着けてみました。
青のシャツに似合うネクタイです。

日本に帰ったら、これをつけて学校に行きたいと思います。



カギを開けて!2009.12.24

今夜はクリスマス。
そのため、学校では仕事は午前中だけ。
午後からは、みんな家に帰って今夜の準備です。
いつも通り、朝7時に出勤。
生徒のいない静かな学校。

2階に上がってみると、両側のドアにカギがかかっています。
私の仕事場は、このドアを開けてもらわないと入ることが出来ません。
カギを開けてもらうために、担当のケリンのところに。
ケリン「今日は生徒がいないから開かないよ。」
私「あそこが開かないと仕事場に入れないよ。」
ケリン「じゃあ、副校長に話してみるわ。」
ケリン「開けてもいいって。でも11時までに終わりにしてね。」
そしてカギを探すのをしばし待つ・・・。(10分)

カギは、カギの開け閉め担当の彼が持ってきてくれました。
11時までに終わりにしてくれと念を押されてやっと部屋へ入ることが出来ました。(7時30分に)

今日の午後から1/10まで休みをもらいました。
こちらでは、先生以外は年末年始休暇はないんです。





2009年12月24日木曜日

アンケートと会議2009.12.23

朝8時。
家から歩いて7,8分の所にあるマヌエル・H・ペレス小学校に行きました。
昨日に続き
私の活動についてのアンケート(評価)を書いてもらうためです。
セミナーに参加してくれた5人の先生全員に会うことができました。
10時からの会議の前に、アウロラ先生の教室に集まってもらいました。

アンケートを書いてもらっている間、連れてきた先生の子どもたちとちょっと遊びました。
私の隣が幼稚園生、男の子が1年生、そして2歳の子です。
地図を見せて、中国はどこ? 
日本は?と、ちょっと難しい質問を。
パナマの場所も分からなかったくらいですから、当然中国も日本も分かりませんでしたが、中国と日本が別の国だということは分かってもらえたのではないかと思います。

ノルマル校に戻り、始まっていた先生方全員の会議を見に行きました。
この会議の最後に、各教科の主任の先生が自分たちが1年間してきたことを発表するのです。
数学科主任のホセ先生は、写真をプレゼンテーションしながら発表しました。
この写真は私が提供したものだったこともあり、写真の多くが私たちのセミナーに関係した活動でした。
発表後に校長先生が、「ムイ・ビエン!」(すばらしい!)と、ほめてくれました。

私の活動は、学校内で行うことが少なかったので、なかなかノルマルの先生方に知ってもらえませんでした。
今日の発表でボランティアとしてどんなことをしてきたのかを知ってもらえたことが、とてもうれしいです。







2009年12月23日水曜日

アンケートとクリスマス2009.12.22

夏休み前の最後の登校日。
生徒たちにとっては、期末試験最終日です。
今日は1教科だけだったので10時には終了。
試験の後、いつも来るサントくんが算数部屋にやってきました。
今度の26日から、このサントくんの家に行きたいと考えています。
この計画は明日、もう一度話すことにして・・・。

10時頃からホセ先生と、算数セミナーやミニセミナーを行った小学校を回りました。
今年私が行ったこれらのセミナーについてのアンケートを書いてもらうためです。
この結果をもとに、次にまた日本人のボランティアを要請したいと考えているようです。
一人一人の受講者に手渡して説明するまじめなホセ先生。
本当に彼はパナマの算数システムを変えようと考えています。
彼がいたから、私でもここまで活動ができたのでしょう。

回った学校は5つ。
そのどの学校でも、クリスマスのパーティーが行われていました。
子どもたち用のお菓子やジュースを準備する先生方も忙しそう。
教室の中では、それを手伝う子ども、音楽をかける子ども、踊る子どもなどが・・・。
中には、ピザ屋の車を頼んで、焼きたてのピザを配る学校もありました。
私も食べようかなと思いましたが、あまりの長蛇の列ぶ気にはなれず、断念。

学校に戻ると、大会議室で何かのイベントが。
のぞいてみると、子どもが踊っていました。
そしてカラオケらしきものも。

一足先に終業式を終えた小学校では、クリスマスを楽しむためのこんな行事があるのですね。
去年は気づかなかったことがたくさんあります。





2009年12月22日火曜日

ランニングシューズ2009.12.21

今、私の目標の一つは、次の駅伝大会に参加することです。
いや、去年よりもいい走りをすることが具体的な目標です。
その目標を達成するため、今日も走りました。
日本に一時帰国したときに、このランニングシューズを買いました。
1万2千円以上もするのでちょっとためらいましたが・・・。
パナマに戻った今月の12日から今日で10日がたちました。そのうち7日間走っています。

今朝、教え子からメールが届いていました。
そこには、市の駅伝大会の結果が書かれていました。
読んでいると、無性に走りたくなってきました。
苦しいことに立ち向かうことは、つらいことですがすばらしいことです。

日本に帰ったら息子と親子マラソン大会に参加したいと思っています。
息子には、「絶対出ないからね!」と言われていますが・・・。

2009年12月21日月曜日

16回目の弓道練習2009.12.20

昨日に続いて、今日も弓道練習をしました。
今日は、握り皮(弓の握る部分)作りと中仕掛け(矢をひっかける部分)作りをしました。
作り方の説明が難しかったので、握り皮作りはほとんど私が作ってしまいました。
中仕掛け作りのときは、前に一度作ったことがある3人があとの3人に教える形で進めました。
教え会っている姿を見ると、もう16回目の練習なんだなと、ちょっとうれしくなりました。
今年最後の練習日でした。
来年は違う場所で練習をしていきます。
この様子は、1月2日のブログで・・・。

15回目の弓道練習2009.12.19

2か月ぶりの弓道練習会。
集まったのは5人。
一時帰国のときに買ってきた弓道の道具の中に、道着がありました。
今日は代表でクリスチアンに道着を着てもらいました。
パナマで初めて弓道着を着たパナマ人ということになります。
何となくうれしそうに見えます。

今日の練習は、久しぶりということで、今までの復習。
弓道体操。
弓を持って弓道八節。
かけを付けて同じように。

パナマのパンデポルテというスポーツ団体では、総合運動施設の建設を計画しています。
その設計図には弓道場もあります。
早ければ、来年に着工開始となるようです。
夢は広がります。
でも私の任期はあと3か月。
できることを精一杯教えたいと思っています。



夜のシンタコステーラ2009.12.18

ガテマラで小学校教師のボランティアをしている、茨城県のNさんがパナマに来ました。
彼女と市内観光に出かけました。

写真は、パナマ運河のフローレンス水門です。
しかし、今日は船が全然通らない!

気を取り直して、カスコ・ビエホの散策、魚市場のレストランで昼食、パナマ・ビエホで買い物を。
急ぎ足でしたが、満足してガテマラに戻ってくれたようです。

今は、クリスマス前で町中は、その飾りでにぎわっています。
海沿いのシンタコステーラでは、夕方から夜にかけて特ににぎわいをみせます。
長いにぎやかな夜に、花火で拍車をかけます。
歩行者天国にし、パレードをする日もあります。

そんな様子を眺めながら、この道を走る私。
人をよけながら走るの慣れました。
パナマの海はちょっとくさいですが、そよ風がとても気持ちよく感じます。






数学の最終テスト2009.12.17

明日は、今年度最後の数学の期末テストです。
今日は、2人の生徒が質問に来ました。
どちらも高校1年生。
平行線を通る線の角度と三角形の内角の角度に関する問題の質問でした。
同位角と対角、三角形の内角の和の基本から説明しました。

そして、同じような問題を何問も解いていくと、だんだん自信をもって答えられるようになってきました。
教師としての喜びはこういうところなんですよね。

2人で合計3時間。
笑顔で帰って行く2人よりも、私の方がうれしかったのかも・・・。




2009年12月17日木曜日

1か月ぶりに2009.12.16

1か月ぶりに仕事に行きました。
起きたら7時半。
まずい!
たいへんな寝坊です。
急いで朝食を食べ、
ノルマルの算数部屋へ。
これは何だ?
おもちゃがいっぱい。
聞くと、ゴンザレス先生が子どもたちへのプレゼント用に集めた物だとか・・・。
とりあえずこれではロッカーが使えないので、隣の部屋を掃除して移動しました。

思い出すと、私がこの部屋に来たときもこんな感じでした。
はじめの3日間は掃除と整頓でした。

帰りに、私が日本に帰ってしまったためにミニセミナーをすることができなかったマヌエル・H・ペレス小学校に 寄りました。
2年担当のベルティルダ先生のクラスに行くと、子どもたちが算数のノートやプリントを見せてくれました。
ミニセミナーでするはずだった、繰り上がりの足し算と繰り下がりの引き算の勉強をしたあとがありました。
ていねいにサクランボ算が書いてありました。
これにちょっと感動!
私がいないときに授業をしてくれたのです。

今年度の授業は今日が最後だそうです。
1年担当の先生とは、来週に教材の説明をすることにしました。
来年度のために。

多くの先生方が、私が日本に帰ったことを知ってくれていたこと。
そして悔やみの言葉をかけてくれたことも胸にしみました。
あと3か月、こんな人たちに私ができることをみつけてしていこうと強く思いました。


2009年12月16日水曜日

ブルーのベッド2009.12.15

午後から健康診断の結果を聞きに、パイティージャ病院へ。
結果は良好。
10分で終了。
丈夫な体に生んでくれた親に感謝!

15分ほど立って、やっと捕まえたタクシーに乗り、パナマのバスターミナルへ。

そして1か月ぶりにサンチアゴに戻ってきました。

部屋に入ると、アミンタお母さんが私のベッドシーツを作ってくれていました。
なんか心がちょっと温かくなりました。
12/8が誕生日だったアミンタさんに日本から買ってきた香水をプレゼント。
そして税関で没収されそうになった日本米も。
おまけに成田で買ったおまんじゅうも付けて。

ほこりがたまった部屋を掃除しながら、私の気持ちもきれいにできました。

ゴルガス研究所2009.12.14

朝7時半。
健康診断のため、パイティージャ病院へ。
今日は血液検査とレントゲンをしました。
問題は、持って行くはずだった便がまだでないということだけ。
病院のトイレでも頑張りましたが・・・。
結果は明日の午後に。

昼食は仲間に誘ってもらい、近くの魚市場の2階の食堂へ。
新鮮な海の幸をたっぷり食べました。
問題は、ちょっとニンニクが効きすぎていたこと。

午後2時からゴルガス研究所へ隊員の職場見学に行く約束をしていました。
問題は、急なスコール(雨)で遅れてしまったこと。

30分ほど遅れて研究所に到着。
ここで活動する隊員は2人。
はじめに図書館で働くK隊員の職場へ。
思ったより小さな医学専門書が並ぶ図書館でした。
そこでパソコンに向かい仕事をすることが多いということでした。

次にコンピュータの仕事をするY隊員の職場へ。
ここで彼は、プログラミングの仕事をしています。

80年を越える歴史を持つここには、200名ぐらいの方がはたいています。
ここでは、日本人だけでなく韓国のボランティアも働いていました。
多くの人達が働きやすくするために、ボランティアの仕事はとても大切なんだということをあらためて感じました。

帰り道、待ちに待った便意がやってきました。








シンタコステーラ2009.12.13

パナマに戻って2日目。
日曜日の今日、久しぶりにパナマ通信を作りました。
今回で65号になりました。

昼食にはお好み焼きを作りました。
野菜不足の食生活なので、首都に来たときにはいつも野菜をたくさん食べることにしています。

そして夕方、昨日に続き海沿いの道「シンタコステーラ」を走りました。
1往復5kmのコースを2往復。
ゆっくりのペースで50分かけて。

走り終わるころには、ここの公園に置かれているこれら飾りに明かりが点灯されす。
クリスマスに向けて、町中がお祭りムード。
特に大きなツリーが目を引きます。
その周りでは家族連れや若いカップルが仲良くくつろいでいます。

そういえば、息子が「パナマに行ってみたいな。」と言っていたっけ。
走りながら、この風景を家族にも生で見せたいなと思ってしまいました。








2009年12月13日日曜日

パナマへ戻る2009.12.12

ニュヨークのホテルに泊まり、今日の早朝、パナマシティに向けて飛び立ちました。
5時間のフライトでパナマに到着。
20日ぶりのパナマはやっぱり暑かった。
痛かったのどの調子も良くなりました。

空港で持ってきたおもちとお米がひっかかり、ちょっと時間がかかりましたが、取り上げられることもなく、何とか落着。

夕方、久しぶりに海ぞいの道を走りました。
日本で食べ過ぎたせいか、ちょっと体が重い感じがしました。


あと3か月。
頑張ろうという気になってきました。



2009年12月12日土曜日

ニューヨークへ2009.12.11

日本での2週間の滞在も終わりました。
再び家族たちと別れ、パナマに戻ります。
昼の高速バスに乗り、夕方のフライトでニューヨークへ向かいました。
雪のロッキー山脈を越え、同じ日の夕方、空港に着きました。
ホテルについてからは、ずっとパソコンに向かっています。
そしてブログも更新。
明日の朝は早いので、そろそろ寝ようと思います。

お墓そうじ2009.12.10

我が先祖のお墓掃除をしました。
久しく掃除をしていなかったのか、落ち葉に埋もれそうでした。
くまでとほうきできれいに落ち葉を集めました。
そしてお線香を。
お墓も気分もきれいになりました。
夕方は、兄弟が集まってくれ、にぎやかな夕食会になりました。
明日の今頃は飛行機の中です。

スイミングスクール2009.12.9

午前中は、昨日の続きの作業。
切った枝を田んぼに運ぶ作業です。
午後からわが子たちが習っているスイミングスクールを見に行きました。
特に息子のバタ足が上手だったことに驚きました。
夕方には餅つき。
お腹いっぱいあんころ餅を食べました。

保育参観2009.12.8

幼稚園の保育参観に行ってきました。
転がしドッチボールと工作の学習を参観(参加?)しました。
年長さんになっただけあって、前とは比べようもないくらい落ち着いていました。
午後は、妻の実家の裏庭の梅や柿の木を切りました。
裏庭も気持ちもすっきりしました。

2009年12月7日月曜日

ボウリング2009.12.7

笠松のスケート場は、今日も女子大学アイスホッケーの試合のため、使用できませんでした。
そこでボウリングをすることにしました。
息子は、「前からボウリングしたかったんだよなー。」とのこと。
娘が寝ているすきに、ボウリング場へ。
わが子たちにとっては初めてのボウリング。
6ポンドのボールは、まだまだ重たいようでした。
パナマにもボウリング場はあるのでしょうか?
そういえば、パナマには遊園地がありません。
子供たちが遊ぶところといえば、家の近くの公園かマクドナルドや大型スーパーの中にある小さなアスレチックくらいです。
日本の子どもたちは本当に恵まれているんですね。
パナマにボウリング場があったら、けっこう人気が出るのではないでしょうか。

迷路2009.12.6

子どもたちと海浜公園に行きました。
パナマに行く直前の日曜日に来たのも、ここでした。
子どもたちのお目当ては、「迷路」です。
4か所のチェックポイントの場所にすいすいと行き着き、その問題を自信ありげに解く我が子を見ていると、頼もしい感じがします。
乗り物を乗るときの身長制限120cmを越えた息子を見て、さらに成長を感じます。
日本に一時帰国してから、初の家族水入らずの休日でした。

アイスホッケー2009.12.5

午後から子供たちとスケートに行くつもりでした。
しかし、今日と明日は女子大学リーグ開催のため、使用できませんとのこと。
せっかくなので、その試合をちょっと見てから帰りました。
1チーム6人で行うんですね。
私の知らない世界がたくさんあることがうれしくて、思わず監督気分で観戦。
子供たちとは、来週また来ることにしました。

ピアノ2009.12.4

毎週金曜日は、子供たちのピアノ教室の日です。
私も一緒に行ってみました。
私はまったくピアノができません。
前に来たときとはレベルが違いました。
両手でピアノを弾いたり、和音を聞き当てたりする子供たちの成長は、私にとってちょっとショックでした。
私も子供に負けないように、ガンバらねば!

ランドセル2009.12.3

ジャスコに息子のランドセルを見に行きました。
フィットちゃんて何?
天使の羽って?
いろいろと勉強になりました。
義母が生きていたら、きっとランドセルを選びに来たのは私ではなかったでしょう。
そんなことを考えながら、ランドセルコーナーを見回りました。
私が戻ってくるとまもなく、このランドセルを背負った我が子の姿を見るようになります。
パナマでは、ランドセルはありません。
もしあっても、暑さと湿気ですぐにカビが生えてしまうでしょう。
そのかわり、タイヤ付きの手引きバックをもつ小学生が多いです。
その様子は、どこかに旅行に行くかのように見えてしまいます。

大根と白菜2009.12.2

妻の母が育てた大根と白菜を取りました。
今日は、私の父や母が先生です。
母に大根の干し方や白菜の採り方を聞きながらの作業でした。
義母の苦労と、何も知らない私の無能さを感じながら、いい汗を流すことができました。
とてもりっぱな大根と白菜です。
大切に食べたいと思います。

久しぶりの小学校2009.12.1

息子の幼稚園の送り迎えをしました。
先生が代わったことや、息子より小さな子供たちばかりというところも前とは違います。

お昼近くに、私の所属校の水府小学校に行きました。
1年半の間に、プールや旧体育館が取り壊され、グランドがとても広くなっていました。
子どもたちは授業中でした。
なんて静かなんだろう。
パナマの学校とのこんな違いが、私にとってはとても懐かしく感じるのでした。

帰りに見た山々の木々の紅葉が、私の胸にしみました。
お母さんの好きだったシフォンケーキを買って、妻の実家に向かいました。

インフルエンザ2009.11.30

娘を病院に連れて行きました。
インフルエンザとの診断。
母の初七日には参列せず、娘と一緒に一日を過ごしました。
二人で一日ごろごろしていると、パナマにいた1年半が遠い昔に感るようです。
午後から妻と息子も病院に。
インフルエンザではなく、ほっと一息。

ギョウザ2009.11.29

お昼に妻の実家でギョウザを食べました。
妻のおばが作ってくれた手作りのギョウザでした。
みんなでわいわいと食べていると、台所からお母さんが歩いてくるような気がします。
前に、お母さんと何度かギョウザ鍋を一緒にしたことがあります。
そのときと変わらないお昼ご飯でした。
ただ一つかけているのは、・・・。
仏壇には、湯気を立てたギョウザが一つ置いてありました。

2009年12月1日火曜日

母の告別式2009.11.28

今日の午後1時。
妻の母のお葬式が行われました。
64歳の若さでの突然の死は、あまりにも早く、あまりにも突然でした。
母のいない実家に戻ると、台所から母が何事もなかったように出てきそうな気がしてなりません。
きっと私の妻も同じ気持ちではないかと思います。

散歩2009.11.27

お葬式の前日、妻の実家の近くのお寺に、子供たちと散歩に出かけました。
1kmほどの道の途中、かけっこをしました。
こんなところからも子供たちの成長がわかります。

日本の冬の入り口のこの時期、パナマから来たばかりの私には心地のよい寒さです。
お寺の百段近くある石段を登っても、汗をかかないなんていうちょっとしたところが、パナマとの大きな違いです。