2009年1月22日木曜日

ナマケモノ発見2009.1.16

中間報告会と健康診断も昨日で終わりました。
そんなわけで、今日はパナマ市内にある国立公園に行ってみました。
公園の南側の一部が、散策コースになっているので、3時間ぐらいかけて、ゆっくり歩いてみました。
山頂(標高150m)に向かう道で「葉キリアリ」を発見。このアリは、自分の体よりも大きな葉っぱを切って運ぶんです。一列になって休まずに。かれらの通り道は草がなくなり、土の道路のようになっています。
山頂でパナマを眺めながら休んだ後、上ってきた道とはちがう下りの道を歩くこと10分。上を見上げると、何やらごぞごそと葉が揺れています。よく見ると、「ナマケモノ」でした。スペイン語で「ペレソウソ」。自然に住むナマケモノは初めてでした。木の枝から枝へゆっくりですが、休むことなく渡り歩いていました。
行きも帰りもこの大木の道を通りました。私が手を広げるとこんな感じです。
パナマの自然を感じられた一日でした。

2009年1月12日月曜日

ペダシという海の町2009.1.10

ここサンチアゴから南に車で2時間半ほど(150km)のところにある「ペダシ」という町で2日間過ごしました。ここは、パナマ中央部南にあり、太平洋側ににつき出した「アスエロ半島」とよばれるところにあります。同じ学校の先生の車に乗って気持ちよく走ってい
ると、前方から牛の大群が・・・。ここでは、牧畜がさかんで、農家ごとに広い「フィンカ」(農場)をもっています。そこで主に牛を飼っているのです。
また、この町は前に大統領になった女性の出身地でもあり、町のあちこちに彼女の銅像や写真があります。海沿いのながめのよい場所に、彼女の大きな家がありました。
そんな海で釣りをしてみました。釣れたのはこのふぐ1匹です。
ここには渡り鳥をはじめ、さまざまな野生動物が住める自然が残されています。ある小さな川の両側にある高い木々には、野生の猿たちがいます。私たちがじゃまをすると「ウオッ!ウオッ!・・・」といかくの大合唱です。何か、パナマっぽいなあって感じます。
ある川の船着き場に着くと、日本の国旗を発見。日本とパナマの国旗の間には、「日本とパナマの小規模の漁業への協力」(2004年3月)と書いてありました。小さいけれど、こういう協力を日本がしているということに日本人として喜びを感じます。パナマは、貧富の差が大きいんです。この町をみていると、海岸はフランス人や地元の金持ちの大きな家が並んでいます。でも、通りからはずれると、小さなとてもきれいとは言えない家で生活する家族がたくさんあります。援助は貧しい人に必用なものです。自分がボランティアであるということに誇りを感じた一瞬でした。
夜のエビ採り、美しい眺め、今まで見たことのない種類の動物たち、そして金持ちの家。多くの初体験ができた2日間でした。

2009年1月10日土曜日

やあ!フィリピン人2009.1.9

「ケ・ソ・パ・フィリピーノ」(やあどうだい!フィリピン人)と、いきなり道で自転車に乗ったお兄ちゃんに声をかけられました。チノ(中国人)とはよく言われますが、フィリピン人と間違えられたのは初めてです。
髪の毛を切ってもらうために、スペイン語の先生のマルケル(明日、海に連れて行ってくれる方)の家に行くところでした。途中、サンチアゴで働く三井さんとホンジュラスから遊びに来ていた彼の友達と一緒に彼女の家へ。結局、その友達と私が髪を切ってもらいました。上がフィリピン人と間違えられたときで、下が切ってもらった後です。
これで、明日は海で気持ちよく泳げそうです。

ブエノス・アイレスで堆肥作り2009.1.7

サンチアゴから2つのバスに乗り、3時間ほどでこの「ブエノス・アイレス」(おいしい空気という意味)という町に着きました。
ここで農家の支援をする淳さんの仕事を手伝ってきました。
今日はある農家での堆肥作りでした。約5時間手作業で葉を切り、それを鶏ふんなどとまぜて重ねていくという作業です。マチェテ(長い包丁のような物)を持つ右手の握力がなくなっていくのを感じながら、ここのお父さんや息子さんたちと一緒に作業をしました。みんなとてもまじめでもくもくと仕事をしていました。日本で手伝いをしていたときの私とは比べものにならないくらいに、みんな働き者で、父や母の働く姿をそこに重ねてしましました。
突然の夕立の後、歩いて40分ほどで、この町の中心に着きました。今日はここにある病院の先生や看護師さんが寝泊まりする家におじゃましました。電気がないので、夜はろうそくの明かりで、お好み焼きを作り(大失敗)みんなにふるまいました。おいしいとは言ってもらえませんでしたが、食べてくれました。
一夜が明け、日の出とともに目をさましました。朝食後、悠然と馬に乗っていた少年を発見。
このあと、すごいスピードで走り去っていきました。こんな小さな少年の時から馬に乗っているなんて驚きですね。
ちょっと時間があったので、一人で近くの小高い山まで歩いてみました。靴を脱いでズボンをまくって川を渡ろうとしましたが、思ったより深くて、股の下まで濡れてしまいました。濡れた足を気にしながら20分ほど登ると、見晴らしの良い丘に出ました。私が泊まった家がよく見える場所です。来たときとはちがう帰り道、この小さいお店を発見。そこに店番をしていたこの子としゃべっていると、売る品物を抱えて戻ってきた娘さんとグリーンのシャツの男の子。こんな店にも夜、泥棒が入って売り物を盗むのだそうです。どこの国にもバカ者はいるんですね。
10時から近くに住む農民15人に作物の作り方セミナーをしていた淳さんのところにおじゃましました。4つのグループに分かれて、模造紙に課題についての答えを相談しながら書いていました。
例えば、「トマトの栽培には、太陽の光が強い方がいいか、弱い方がいいか?」という質問に答えていくんです。このセミナーは、2日間に渡って行うのだそうです。
1時に出発するチバに乗り、この町を後にしました。本当に、まじめに働く人が多い町でした。

2009年1月9日金曜日

帰国2009.1.6

今日、18年度2次隊のみんなが日本に帰りました。
2年間それぞれの任地でそれぞれの思い出を作り、そして今日晴れやかな顔でパナマをあとにしました。
私は、実家から送られてきたコシヒカリで作ったおにぎりをみんなにプレゼントしました。
日本では普通に食べられる日本のお米は、パナマではとても貴重なんです。
昨日の夜もみんなで、このたきたてのご飯を食べましたが、涙が出るくらいおいしいんです。茶碗にある最後の一粒まで大切に食べました。食べなければいけないということではなく、食べたいんです。
私は、日本の学校では、子どもたちに残さずに食べることを強制していましたが、こういう経験をするときっとご飯に感謝しながら、残すなんてもったいないと心から感じてもらえるような気がします。
みんな飛行機の中で、どんな気持ちでこのおにぎりを食べてくれたのでしょう。
田植えも稲刈りも手伝えなかった私にとっては、父や母への感謝の気持ちでいっぱいです。

前川さんの仕事2009.1.5

久しぶりに走りました。パナマで朝、走ったのは初めてでした。1時間ほど走って汗を流した後、バスに乗って、一人でパナマ・ビエホに行ってきました。
パナマ・ビエホは、スペインがここを占領した1519年に作った町です。それが、1671年にイギリスの海賊に町を壊され、この写真のような姿になってしましました。現在では、壊されたままの状態で保存され、観光場所の一つになっています。
ここでは遺跡の発掘も行われていて、そこで働く隊員の前川さんの仕事場をのぞかせてもらいました。ここには、発掘された土器や道具がたくさん保管されていて、社会科の教師の血がさわぐのをおさえられないほどでした。日本の弥生式土器と同じような形の土器や、中国製の漆器などが多かったのが特に興味深かったです。発掘している人数が足りず、まだまだいろいろなものが発見される可能性がある場所です。
今日は月曜日で観光客も少なかったので、ここのメインの場所近くの木陰のベンチで、2時間ほど本を読みながら過ごしました。
ゆっくりとした時がながれ、心が落ち着く充実した一日を過ごすことができました。

エル・バジェという町20091.4

昨日、ヨッシー村からペノノメまでチバでゆられながら、ふと、「今日はエル・バジェに泊まろう!」と考えつきました。エル・バジェは、観光ガイドでも紹介されているほど、パナマでは有名な場所で、多くの外国人が観光に来るところです。
再来週にホンジュラスから同期の隊員が、このエルバジェ遊びに来ることもあり、下見をしておくということが、私が着た理由の第一です。
着いたのは前の日の夜で、土曜日ということもあり、どこのホテルも一杯でした。バスの中でとなりに座っていたおじさんに紹介してもらった安いホテルは部屋はもちろんあいていませんでした。1泊75ドル(7500円)の高いホテルには泊まる気がせず、結局33ドルのホテル「エル・バジェ」に泊まることにしました。夕食を下のレストランですませ、近くのチナ・ティエンダ(中国人が経営している小型スーパー)におつまみを買いに行き、短い夜を楽しみました。
4日は、ホテルのお兄さんに地図をもらって、まずは動物園に。いました!黄色いカエルとナマケモノが。どっちも本物を見たのは、たぶん初めてです。
時間がなくなったので、日曜市でお買い物です。買うつもりがなくても買ってしまうという私の悪いくせがでてしまいました。最初に私に声をかけてきたのはこのおばさん。自分で作った「モラ」(クナ族の女性の衣装につけるパナマの伝統的な衣装デザイン)を売っていました。カバンを3つ。まとめ買い割引で30ドル。それから道を挟んだ向かいの店へ。Tシャツ2枚で11ドル。またこちら側に移動し、1ドルで見たこともないあめ玉のようなものが20個くらい入った袋を買いました。食べてみると何と、梅干しと同じ触感でしかも砂糖がまぶしてあるというもの。日本人にとっては信じがたい味で、さすがにその辺にいた子どもにあげようとしましたが、あえなくいらないと断られてしまいました。
こんなわけで、エル・バジェでたくさんのお金を使い、パナマに移動しました。