2009年1月31日土曜日

ウエストは何センチ?2009.1.30

「最近、太っちゃったかしら?」「測ってみようよ。」「あら、5センチも太っちゃった。」「えーっ、見せて。」なんて会話が聞こえてきそうなこの写真。実は、今日のセミナーのテーマが、統計なんです。みんなの身長を測って、棒グラフや円グラフに表すという学習です。きっと、身長を測り終えた彼女たちは、気になるウエストを測っていたのではないでしょうか。
1週間のセミナーも今日で最終日。私のカウンターパート(担当)
でもあるホセの授業を見ました。いつものように、授業の入りは、明るく冗談を交え、簡単なゲームで先生方の気持ちと頭をほぐしていました。
授業が始まって30分ほどたちました。廊下で私を呼ぶ女性が。
昨日セミナー後に話し合いをすると約束したマリア(写真の左)です。「今から話し合いをしましょう。」と。あれ?セミナーの後じゃなかったっけ?と思いながらも言われるままに隣の教室へ。結局9時から2時まで、ずっと算数の教材の紹介とその使い方を説明してしまいました。こうして私にとって4日間のセミナー受講は終わりました。
セミナー後、このマリアの家で、ネット教材(TOSSランド)を紹介し、夕食をごちそうになりました。
彼女の職業は、「スーペルビソーラ」(監督者)です。先生方の受講態度や講師の教える様子を監視し、評価するという役目です。
日本の学校には、こんな職業の人はいないですよね。
彼女は2/9から算数セミナーを田舎の町の先生対象にするそうです。
だいじょうぶかな?と思いながら、夕食に出たサマーカレー?を平らげました。

2009年1月30日金曜日

昼休み中に2009.1.29

今日のおやつは、ヨーグルトがでました。毎日、違ったおやつなので、何が出るのか、だんだん楽しみになってきてしまいました。
今日は3番目のクラスでセミナーを受けてみました。内容は、「図形」です。直角三角形を8つ使って、正方形や長方形、平行四辺形や台形などを作るというものでした。
昼食を食べた後、教室の中に残っている先生方が何かをしています。見ると、午前中に終わらなかった作業を黙々としているのでした。しかも、一人だけではありません。教室に残っている半分以上の先生方がそれをしていたのです。
静かな感動が私の心の中にわきあがってきました。
午後は立体を作るという作業。1時間が経ち、2時間が経ち、まだ終わりません。結局、午後の3時間ずっとこの作業をしていました。そして出来上がったものがこの写真。いったい何なんだこれは・・・。

2009年1月29日木曜日

なにしに来てるの2009.1.28

セミナー2日目。今日は、ホセの奥さん(中学校の算数教師)のクラスで受けてみることにしました。今日のテーマは、「円周と円」でした。紙で分度器を作り、円を描くなど作業を適度に入れ、先生方にそれを作ったり、描く練習をする時間をたっぷりととっていました。
今日のおやつは、大きなパンとリンゴが入っていました。となりのうるさい女性の先生は、「リンゴだ!」ってよろこんでさけんでいました。
午後の部は1時から始まりました。どうみても少ないぞ。だんだん増える教師の数。隣の先生(うるさい女性の先生)がまだ来ません。30分ぐらいたってからやっと教室に戻ってきました。何やら喜んでいる様子。くじが当たったようです。もう、セミナーどころではありません。やる気も無し。大声でセミナーとは関係ないことをつぶやき出しました。おまけに私にも関係のない話を・・・。
さすがに肝心袋の緒が切れた私は、「私はうるさいのが嫌いなんだ。あなた達にポイント(セミナーを受けるともらえる点数)は必要ないよ。教育委員会に伝えるから。」と言って、持っていたビデオでこの様子を撮り出すと、一気に静まり出しました。「チノ(中国人=私のこと)が、ビデオを撮って教育委員委員会に持って行くぞ。」と言うので、私は「Soy Japones!」(私は日本人だ!)と3回続けて大きな声でみんなに言ってみました。
そんな中、せっせと内職(授業とは関係のないこと)をするおじさん先生がいました。見ると、あまりに上手なので写真を撮ってみました。
いろいろなことが勉強できた一日でした。

2009年1月28日水曜日

パナマ人のセミナー2009.1.27

今週一週間は、パナマの先生が行うセミナーに参加します。5月に私がセミナーをする前に、パナマ人のセミナーを見たいと思ったのです。
今日私が受けたのは、パナマ大学の先生が講師をしていたクラスです。今日のテーマは、統計の数字を円グラフと棒グラフに表すというものでした。午前8時から始まるはずのセミナーは、やっと8時20分ぐらいから始まりました。10時ちょっと前におやつが出ました。写真にある4種類が全員に配られると、みんなすぐに食べ始めていました。この休み時間が何と30分。12時ちょっと前に午前中の部が終了。お弁当とジュース、水のボトルが全員に配られ、それを平らげた後は、自由時間。教室で一番大きな先生の机では、トランプで遊ぶ先生方が・・・。お金があるぞ。よく見ると、お金をかけて遊んでいるのでした。日本でいうと、「ブラックジャック」のような遊びでした。
午後1時から午後の部のセミナーが始まりました。予想通り、睡魔が襲ってきました。その睡魔と戦いながら午前中の続きを・・・。2時を過ぎた頃から先生方が騒がしくなってきました。講師の先生がその声におされ、荷物を片付け始めました。4時までのはずのセミナーは、2時半前に終了。8つのグループの中で、ここが一番早く終わったようです。授業の途中、出席表が回ってきました。火曜日のところに自分の名前を書来ました。それで今日、出席したことになるようです。
私の隣に座った先生たちと話ができたことで、パナマの小学校の先生方の様子が少し分かりました。
今日の夕方、気持ちよく走ったので、今夜はよく寝られそうです。
そして明日は、睡魔に勝ちたいと思います。

2009年1月27日火曜日

首都滞在14日間2009.1.26

1か月間の夏休みも今日で終わりです。休みの後半は、首都パナマシティに14日間もいました。この期間には、いろいろな国から任国外旅行でパナマに来る隊員が多く、たまにこうして一緒に食事をすることがあります。
写真の左側の2人はドミニカ共和国から来たそうです。パナマで一番おいしいと言われる中華料理店で昼食をとりながら、行ったことのない異国の話を聞くのは、興味深く驚きも多いものです。こんな話を聞く度に、パナマっていう国は、安全でお金の面でも本当に恵まれた国なんだなと感じます。
もちろん、そんなパナマで働く私も恵まれています。恵まれていることを感じると言うことは、逆になぜ協力隊の自分がこの恵まれた国で働いているのかという疑問につながることもあります。
「この水飲めるんですか?」「水道をひねって水が出てくるってすごい!」と言う彼女たちの言葉を忘れないように、パナマでの410日間を過ごしたいと思っています。

2009年1月26日月曜日

駅伝大会2009.1.25

こんなに暑い国の一番暑い季節に、なぜ走るのかと聞かれたら、きっとうまくは答えられませんが、走り終わった人たちだけが分かる答えがあります。
大西洋側にあるパナマ第2の都市「コロン」のこの銅像前を午前6時にスタートし、81.5km、10区でパナマ市まで走る駅伝大会に参加しました。コロン市は事件や犯罪が多い町です。私たちは立ち入り禁止にされている所です。でも、この日だけは、この地がスタートということで来ることが出来ました。
私は4区で、約8kmを32分48秒で走りきりました。他の隊員たちもベストに近い走りでした。
アマドールのゴールに着いたのは、午後1時25分でした。記録は7時間25分です。
夕方、調整員さんの家での打ち上げでは、みんなの充実感に満ちた笑顔がありました。
8月に駅伝大会があります。今度は、これに向けて頑張っていこうと思います。

2009年1月25日日曜日

第3回弓道セミナー2009.1.24

先週に続き、3回目の弓道セミナーに行ってきました。
今日は、弓道八節を練習し始めました。
「弓道八節」とは、「足踏み」「胴作り」「足踏み」「打ち起こし」「引き分け」「会」「離れ」「残身」の8つの動作です。
今日は12人の参加でしたが、猛暑の中、10時から12時半頃まで真剣に弓を学んでいきました。
次も今回のおさらいをしたいと思っています。
夕方は、明日の駅伝大会の打ち合わせを参加者14人でしました。所長夫人と大使館の方にも来ていただき、みんな真新しいユニフォームに、そをでを通しました。その様子を見ると明日が楽しみになりました。
また、所長夫人がこのブログを見てくださっていることを知り、驚きと同時にふざけたことは書けないなということで、今日はこんな感じで書いてみました。

2009年1月24日土曜日

ユニフォームと野菜炒め2009.1.23

駅伝のユニフォームができあがりました。表はJICAのマーク、裏は日の丸とチーム名をあしらったデザインです。
日の丸をつけて走るって、なかなかできるものではないことです。
パナマには日本人が300人ほどしかいません。
走ることで、日本のPRにもなります。多くのパナマの人たちに、日本のことを知ってもらいたいという願いのこもった、シンプルなデザインです。
今日の朝は、ちょっと寝坊してしまい、走り始めたのは9時になってしまいました。
最近、体重を減らすため、朝はフルーツヨーグルト、昼と夜は野菜炒めを作って食べています。
お米はもちろん、実家から送ってきてもらったコシヒカリです。お腹いっぱい食べても体重は減ってきているのが、走っていても分かります。
やっぱり、日本人の私は、野菜中心の食事が自分にあっていると思います。夜の黄色いジュースもおさえ、25日のスタートに備えています。
人に勝つ前に、自分に負けないように頑張りたいです。

2009年1月23日金曜日

アンコンの丘2009.1.22

初めて「アンコンの丘」というところに行ってきました。ここは、パナマ市内にあり、高さが200mくらいの小さな山です。下の道でタクシーを降り、地図を見ながら歩くこと40分。大きなパナマの旗がたなびく山頂に着きました。この旗、どのくらいの大きさか分かりますか?ちょうど、バスケットコート1面分だそうです。右手で持ってみました。どうです、このナイスショット!
ここからは、パナマ運河もよく見えます。指の先にあるのが運河です。帰り道、パナマの有名な野鳥「トゥカン」を発見。遠くてぼやけてしまいましたが、鳴き声からみても間違いありません。最後の写真は、そのトゥカンです。(私が撮った写真ではありません)
今度は、標高2000mの山の方にしか住まない、「ケッツァル」という幻の鳥を見てきたいと思います。

2009年1月22日木曜日

アテンド最終日2009.1.20

アテンド最終日の今日は、1519年から150年間、パナマの首都であった、この「パナマ・ビエホ」に来ました。ここで考古学のボランティアとして働く前川さんにパナマの歴史や発掘された遺物の説明をしてもらい、私も勉強になりました。
「パナマ」っていう国の名前は、どんな意味があるのかも分かりました。ここに着いたスペイン人たちが、原住民(インディヘナ)に、ここはどこかと聞いたところ、彼らがパナマ(魚などがたくさん採れる土地という意味)と答えたところから、その名が付いたそうです。
今回の4日間の案内で、私の方がパナマのことを知ることができた気がします。足の指のまめの傷みの分だけパナマのことが分かりました。
今夜は、ゆっくり休みたいと思います。

初!パナマ運河の水門2009.1.19

ここは、「ミラフローレンス水門」。パナマ運河の太平洋側にある水門です。ここを船が通るときに、この門を閉め、水門と水門の間に水を入れて船を上にあげて次の門に通すという仕組みになってます。
水面の低い太平洋側から、水面の高い川を通すためには、こうして船を持ち上げなければならないんです。
ここを通るためにはたくさんのお金を払わなければなりませんが、それでも多くの船が海に並んで順番待ちをしている状態です。今、パナマでは、もう1つ水門を作っています。あと5年後に完成する予定のようです。これを作るために日本からもお金を援助しているんですよ。
初めて見た水門は感動的でした。今度は、70km離れた大西洋側の水門も見てみたいと思っています。

二度目のエル・バジェ2009.1.18

アテンド2日目。今日は日曜日です。エル・バジェでは、市がにぎわいを見せる日です。というわけで、2週間前に下見をした、ここエル・バジェを案内しました。まずは、動物園。有名な物としては、「黄金のカエル」や「バク」などですが、ここには日本でも見られる野鳥がいます。その代表がこれです。水府小のみなさん、覚えていますか?竜神峡で見たこの美しい「オシドリ」を。ここパナマでもオシドリがいるということは、太平洋を飛んで渡ってくるのでしょうか?
そして、この2匹のサル。せまい入り口から仲良く顔を出していました。まるで双子のようです。我が子たちもこんな感じで、仲良くしてくれているでしょうか。
昼食後は、幹が四角形の木を見に行ってきました。これは、私も初めて見ました。本当に四角形の木が少し離れて2本ありました。
ホンジュラス隊員さんが万歩計をつけていました。この日の合計歩数は、2万4千歩。足の薬指に豆ができました。

アテンド2009.1.17

午前中、第2回目の弓道セミナーを、公園の中のここでしました。2時間くらいの時間でしたが、集まった12人は私の言葉に真剣に耳を傾けてくれました。今日は、歩き方、曲がり方、座り方と立ち方、そして礼の仕方を練習しました。次は来週の土曜日です。今度は、弓道八節に入っていきたいと思っています。
そして午後、ホンジュラスという国から、同期の隊員3人がパナマに来ました。20日までの短い時間を楽しんでもらえるように、アテンド(案内)して行きたいと思います。
この日の午後は、「シンコ・デ・マジョ」(5月5日通り)と「カスコ・ビエホ」(旧市街)を散歩しました。ここは、1600年の後半に栄えたスペイン人が作った町です。写真の教会など、古い建物がそのままの状態で残されています。通りをちょっとはずれると、貧しい人たちが住む町があるので、ちょっと危険です。

ナマケモノ発見2009.1.16

中間報告会と健康診断も昨日で終わりました。
そんなわけで、今日はパナマ市内にある国立公園に行ってみました。
公園の南側の一部が、散策コースになっているので、3時間ぐらいかけて、ゆっくり歩いてみました。
山頂(標高150m)に向かう道で「葉キリアリ」を発見。このアリは、自分の体よりも大きな葉っぱを切って運ぶんです。一列になって休まずに。かれらの通り道は草がなくなり、土の道路のようになっています。
山頂でパナマを眺めながら休んだ後、上ってきた道とはちがう下りの道を歩くこと10分。上を見上げると、何やらごぞごそと葉が揺れています。よく見ると、「ナマケモノ」でした。スペイン語で「ペレソウソ」。自然に住むナマケモノは初めてでした。木の枝から枝へゆっくりですが、休むことなく渡り歩いていました。
行きも帰りもこの大木の道を通りました。私が手を広げるとこんな感じです。
パナマの自然を感じられた一日でした。

2009年1月12日月曜日

ペダシという海の町2009.1.10

ここサンチアゴから南に車で2時間半ほど(150km)のところにある「ペダシ」という町で2日間過ごしました。ここは、パナマ中央部南にあり、太平洋側ににつき出した「アスエロ半島」とよばれるところにあります。同じ学校の先生の車に乗って気持ちよく走ってい
ると、前方から牛の大群が・・・。ここでは、牧畜がさかんで、農家ごとに広い「フィンカ」(農場)をもっています。そこで主に牛を飼っているのです。
また、この町は前に大統領になった女性の出身地でもあり、町のあちこちに彼女の銅像や写真があります。海沿いのながめのよい場所に、彼女の大きな家がありました。
そんな海で釣りをしてみました。釣れたのはこのふぐ1匹です。
ここには渡り鳥をはじめ、さまざまな野生動物が住める自然が残されています。ある小さな川の両側にある高い木々には、野生の猿たちがいます。私たちがじゃまをすると「ウオッ!ウオッ!・・・」といかくの大合唱です。何か、パナマっぽいなあって感じます。
ある川の船着き場に着くと、日本の国旗を発見。日本とパナマの国旗の間には、「日本とパナマの小規模の漁業への協力」(2004年3月)と書いてありました。小さいけれど、こういう協力を日本がしているということに日本人として喜びを感じます。パナマは、貧富の差が大きいんです。この町をみていると、海岸はフランス人や地元の金持ちの大きな家が並んでいます。でも、通りからはずれると、小さなとてもきれいとは言えない家で生活する家族がたくさんあります。援助は貧しい人に必用なものです。自分がボランティアであるということに誇りを感じた一瞬でした。
夜のエビ採り、美しい眺め、今まで見たことのない種類の動物たち、そして金持ちの家。多くの初体験ができた2日間でした。

2009年1月10日土曜日

やあ!フィリピン人2009.1.9

「ケ・ソ・パ・フィリピーノ」(やあどうだい!フィリピン人)と、いきなり道で自転車に乗ったお兄ちゃんに声をかけられました。チノ(中国人)とはよく言われますが、フィリピン人と間違えられたのは初めてです。
髪の毛を切ってもらうために、スペイン語の先生のマルケル(明日、海に連れて行ってくれる方)の家に行くところでした。途中、サンチアゴで働く三井さんとホンジュラスから遊びに来ていた彼の友達と一緒に彼女の家へ。結局、その友達と私が髪を切ってもらいました。上がフィリピン人と間違えられたときで、下が切ってもらった後です。
これで、明日は海で気持ちよく泳げそうです。

ブエノス・アイレスで堆肥作り2009.1.7

サンチアゴから2つのバスに乗り、3時間ほどでこの「ブエノス・アイレス」(おいしい空気という意味)という町に着きました。
ここで農家の支援をする淳さんの仕事を手伝ってきました。
今日はある農家での堆肥作りでした。約5時間手作業で葉を切り、それを鶏ふんなどとまぜて重ねていくという作業です。マチェテ(長い包丁のような物)を持つ右手の握力がなくなっていくのを感じながら、ここのお父さんや息子さんたちと一緒に作業をしました。みんなとてもまじめでもくもくと仕事をしていました。日本で手伝いをしていたときの私とは比べものにならないくらいに、みんな働き者で、父や母の働く姿をそこに重ねてしましました。
突然の夕立の後、歩いて40分ほどで、この町の中心に着きました。今日はここにある病院の先生や看護師さんが寝泊まりする家におじゃましました。電気がないので、夜はろうそくの明かりで、お好み焼きを作り(大失敗)みんなにふるまいました。おいしいとは言ってもらえませんでしたが、食べてくれました。
一夜が明け、日の出とともに目をさましました。朝食後、悠然と馬に乗っていた少年を発見。
このあと、すごいスピードで走り去っていきました。こんな小さな少年の時から馬に乗っているなんて驚きですね。
ちょっと時間があったので、一人で近くの小高い山まで歩いてみました。靴を脱いでズボンをまくって川を渡ろうとしましたが、思ったより深くて、股の下まで濡れてしまいました。濡れた足を気にしながら20分ほど登ると、見晴らしの良い丘に出ました。私が泊まった家がよく見える場所です。来たときとはちがう帰り道、この小さいお店を発見。そこに店番をしていたこの子としゃべっていると、売る品物を抱えて戻ってきた娘さんとグリーンのシャツの男の子。こんな店にも夜、泥棒が入って売り物を盗むのだそうです。どこの国にもバカ者はいるんですね。
10時から近くに住む農民15人に作物の作り方セミナーをしていた淳さんのところにおじゃましました。4つのグループに分かれて、模造紙に課題についての答えを相談しながら書いていました。
例えば、「トマトの栽培には、太陽の光が強い方がいいか、弱い方がいいか?」という質問に答えていくんです。このセミナーは、2日間に渡って行うのだそうです。
1時に出発するチバに乗り、この町を後にしました。本当に、まじめに働く人が多い町でした。