2009年2月27日金曜日

サンチアゴの野球場2009.2.26

久しぶりの仕事。5月の算数セミナーの準備をしなければならないというあせりもなく(開き直っているかも)、過去の先輩隊員の資料を印刷して午前中は過ぎました。
朝から、印刷するたった1しめの紙をもらうのに、3か所も歩き、とうとう近くのスーパーで、JICAのお金で買うといういかにもパナマっぽい買い方をしてしまっ自分を反省。
あきらめきれず、もう一人の教頭のセクレタリア(秘書)に、「紙ちょうだい。」と言ってみると、「あるよ。」という天からのような声。
「いつ?」「今?」とすかさず聞くと、「じゃあ、今来る?」ということで、やっと1しめ(500枚入り)をゲットしました。かれこれ1時間かけてこれをもらうなんて、日本ではあり得ませんね。こちらでは、紙は先生が自分で買って準備するものなのです。紙だけではありません。授業で使うものもみんなそうです。例えば、授業でみんなに配るプリントは、生徒からお金を集めます。2枚で5円です。
仕事が終わり、マルケル先生のところで髪を切りました。
帰りに旦那さんのハイメ先生が送ってくれました。
その道の途中にずっと修理していた大きな野球場があります。今日は、こんなに行列が。聞くと、明日の球場の落成式と開幕試合のチケットをもらうために(チケットはただのようです)、こんなにたくさんの人が並んでいるという話でした。ハイメは「僕は家でテレビで見るのが好きだから。」と言っていましたが、私も・・・。いや、私の部屋にはテレビがなかったことにあとになって気がつきました。
昨日の動画が好評だったので、今日は、私が勤めるノルマル校の正面玄関を撮りましたので見てくださいね。

2009年2月26日木曜日

ヘスース・ナサレーノ2009.2.25

今日の夕方、5日ぶりに走っていると、通りを歩く人が、はんぱではない数なのです。
それもみんな同じ方向に歩いています。確実に私が走る距離と同じくらいは歩いています。
行きにすれ違った人が、帰りにもまたすれ違うのですから。
その中で、知り合いの子(学校の秘書の娘さん12歳)に会ったので、「どこに行くの?」と聞いたところ、教会のようでした。
今日から5日間、アタラジャという町にある大きなカトリック教会のミサに行く習慣があるということでした。
それは、この教会だけに「ヘスース(神)・ナサレノ」が来るからのようです。
この神は、みなの願い事をかなえてくれる神のようで、キリストの親戚のような神だそうです。
カトリック教徒のパナマ人、この神に、家族の幸せなどを願うようです。
日本の神社参りと同じような感じです。
どうして、こんなに長い距離を歩くのか聞いてみました。
よく聞き取れませんでしたが、きっと歩いていくことに意味があるのでしょう。大変な思いをしてこそ、願いはかなうと言うことかと思います。
また、今週の金曜から毎週金曜日は肉を食べてはいけない日のようです。
これが6回続くと言うことです。
私にとっては、とても嬉しい日になりそうです。
どうしてかって?
私の好きなマリスコス(魚介類)が食べられる日になりそうだからです。
今日は、写真がないので、一昨日のカルナバルの動画をお見せします。

2009年2月25日水曜日

ラス・タブラスのカルナバル2009.2.24

行ってきました。パナマでも有名な「ラス・タブラスのカルナバル」へ。
ラス・タブラスという町は、サンチアゴから太平洋側(南)へバスで1時間45分ほどの所にあります。町はサンチアゴほど大きくはありませんが、
毎年、この時期に行われるカルナバル(お祭り)は有名で、多くの観光客や祭り好きのパナマ人たちが集まってきます。
カルナバルの会場は小さい広場の周りの道で行われていました。一人で歩けば2分ほどで歩くことができるくらいの長さです。でも、この日はそうはいきません。人、人、人、また人で、その間をかき分けながら進みます。
昼間のメインは「水かけ」です。大きなタンク車の上からホースで水をまき散らします。10数台からまかれる大量の水をあびながら、ときどき投げてもらえるTシャツやドリンクボトルなどのプレゼントを取り合います。
私は、CDケースぐらいしか拾うことができませんでしたが、一緒に行った友達はしっかりとTシャツをゲットしていました。
そして、いよいよレイナ(女王)の登場です。華やかな移動ステージの上で笑顔で踊りながら登場します。彼女は生まれながらレイナになると決まっているようで、そのためにたくさんのお金がかかるので、お金持ちでないとなれないようです。だいたい2人のレイナがいるようです。
3時間ほど水をあびて、びっしょりになりました。途中で人混みの中で身動きができなくなり、その人に押されるままに踊って(動いて)いると、パナマ人がどんな楽しみ方をしているのか分かったような気がしました。やっぱり、何事もやってみないとその良さが体感できませんね。
こうして私のカルナバル初体験が終わりました。
その夜は、レイナの夜の行進は見ずに、泊めていただいた平野さん(写真右側)の家でゆっくりとさせてもらいました。平野さんは、退職後、シニアボランティア(40歳以上で専門性をもったボランティア)としてパナマでこの3月まで活動されている方です。専門は病虫害(農作物に害を与える虫)です。パナマの野菜などに害をあたえる虫を見つけ、その虫をどうするかをアドバイスしたりする仕事をしています。ラス・タブラスから30kmほどサンチアゴよりのチトレというきれいな町に家があります。
この夜は、平野さんの手作りの天ぷらとカリフォルニア米で、おいしい夕食をいただきました。
翌日24日は、チトレの町を散策して、昼頃のバスでサンチアゴに戻ってきました。
日に焼けた肌の痛みで、このカルナバルを思い出すことができるくらい、サンチアゴの町が静かに感じました。

2009年2月23日月曜日

サンチアゴの水掛祭り2009.2.22

今、パナマ中はカルナバル(お祭り)休みです。25日までの5日間、あちこちの町でカルナバルをしています。特に、水掛をするところが多いようです。
ここサンチアゴのメインストリートでも長い列をつくって、水をかけてもらいたい若者たちが集まっていました。いつもとは違う町の通りを、同期の佐藤隊員と一緒に歩きました。
佐藤さんとは、明日からラス・タブラスという町のカルナバルに行きます。この町の水掛祭りはパナマでの有名なんです。夜はレイナ(女王)が町の通りを車に乗ってねり歩きます。
そんなパナマの伝統に2日間ふれてきたいと思っています。
明日は、7時半のバスに乗って先輩のボランティアの家に向かいます。このカルナバルの様子は、次回のブログをお楽しみに。

2009年2月22日日曜日

15回目のゴミ拾い2009.2.21

土曜日の早朝、いつものように住んでいる地域のゴミ拾いをしました。
今日の目標だった、スーパーの前のバス停にたどり着くまでに、大きいゴミ袋2袋がいっぱいになりました。
さあ、いざ拾い始めるとすぐにゴミ袋1袋分になり、捨ててあったスーパーのゴミ袋にゴミを詰め始めました。ゴミを拾う前と拾った後を見て分かるように、ゴミがないとこんなにすっきりします。ゴミのほとんどがスーパーで買った物で、プラスチックです。プラスチックは何年経っても土にはなりません。つまり、環境を汚すだけなのです。
大学の周りにも、この種のゴミがあふれています。大学って何を学ぶところなのでしょうか?できれば、こんな大人を少なくできるような勉強を教えてほしいと思います。
そして、できるならば学校の先生みんなが、自分からゴミを捨てないような生き方を生徒たちに見せてほしいです。
私のこの活動は一人だけでしています。拾った後は、とても気分がいいです。パナマの人にもこんな気持ちを味わってほしいと思っています。

2009年2月21日土曜日

あと ひと月2009.2.20

2年前、水府小学校で担任をさせてもらった5年生17人も、あとひと月で卒業になります。
正確に言うと、今年度となりの北小学校と一緒になったので、卒業するのは30人です。
何人かの子どもからは、時折メールをもらいます。昨日もK君からうれしいメールをもらいました。
中学の準備も順調にしているようです。私が日本に戻るときには、中学1年が終わっている頃でしょう。
メールには、学校の様子や私のブログについてなどが書かれていました。パナマにいると、なぜか日本の学校の良さばかりを思い出します。時間を守って生活することや身の回りの整頓ができること、掃除を毎日して学校内がきれいなことやみんなで協力できる行事がたくさんあることなどです。また、先生は子どものために遅くまで残って仕事をしたり、休み時間もノートをみたり、授業の準備をしたりということも、しばしば振り返ります。どうしてか考えると、このような日本の学校のすぐれたところを、パナマの人たちに伝えたいと強く思っているからだと思います。
子どもたちの卒業と同じとき、パナマから日本に帰る隊員がいます。2年間の活動を終える先輩たちです。今夜は、その先輩隊員を囲んで夕食会をしました。今日集まったのは、18年度3次隊のベラグアス県の先輩たちです。
いつもの中華料理屋さん(チナ・マックス)でみんなの2年間の苦労を少しですが知ることができました。
私も1年後、逆の立場になるのでしょうね。

2009年2月20日金曜日

マグロのさしみ2009.2.19

マグロのことをスペイン語でAtún(アトゥン)と言います。
今日は、このアトゥンを買ったので、私がさしみにすることになり、この赤いシャツ(中学の技術の先生)の家におじゃますることになりました。
彼の家に来るのは、これで2回目です。青シャツのアロンソ(ノルマル校の美術の先生)が車でこの家に連れてきてくれました。
夕方、乾期には珍しい雷雨でした。着いて、慣れない手つきでマグロをさばいていると、緑色のラコステのシャツを着たアリスがやってきました。彼に会うのは初めてです。彼は、サンチアゴの隣の町アグアデュルセの学校の農業の先生をしているようです。パナマには、
農業の先生というのがいるんですよ。
結局、刺身はみんな食べないので、油で炒めてニンニクで味を調え、マグロのニンニク炒めにしました。
これは好評で、喜んで食べてくれました。
きっと、どうして日本人は生で魚を食べるのか不思議に思っていることでしょう。もっと新鮮でわさびなんかもあったら、分かってもらえたのでは・・・と思いますが。
こうして、たわいもない会話をしながらの夕食のひとときを過ごしました。
今日は、1日、難しいスペイン語の翻訳に四苦八苦していたので、明日の仕事へのパワーをもらうことが出来ました。あとは、お腹が痛くならないのを祈るだけです。

2009年2月19日木曜日

幼稚園の先生のためのセミナー2009.2.18

最近は、朝5時30の目覚ましで起きるのがきつくなってきています。
睡眠時間が少ないわけではなく、気持ちの問題です。
朝、起きると毎日のように家に電話をします。私の家はインターネットが使えるので、パソコンのスカイプで日本の家に電話をしています。電話をしているときにいつも見ているのが、この机の上です。
今日、3時に仕事を終え学校を出ようとしたとき、ある教室に見覚えのある顔の女性の姿を見つけました。スーペルビ・ソーラ(教育委員会の先生たちの評価をする人)の彼女は、幼稚園の先生向けにセミナーをしていました。教室の中にはいると、みんなそれぞれにこの写真と同じような絵を描いていました。これは何か聞いてみると、左側の○は形、その隣の大きい○と小さい○は大きさ、上の黄色は色、その下の-は厚みだそうです。置いてある様々なブロックを、あてはまる場所に置いていく遊びです。
私が1枚写真を撮ると、自信ありげに私に説明を始めました。
何事も自信を持ってすると、きっとこんな顔で仕事が出来るんだなということを学んだ気がします。

2009年2月18日水曜日

カニャーサス2009.2.17

朝4時半、目覚ましの音で起床。昨日終わらなかった算数教材作りにせいを出す。
6時10分、やっと教材が出来たので、朝食。
6時40分、家を出発。あっ、カメラを忘れた。
6時50分、サンチアゴのテルミナル(バス停)到着。しかし、カニャーサス行きのバスは出発してしまっていた。
7時50分、8時発のバスが出発。分かった、10分前にこのバスは出発するんだ。
8時55分、カニャーサス到着。4人の子どもに迎えに来てもらって、目的地に。
9時過ぎ、算数遊び開始。
という感じで、今日は、「カニャーサス」という町で働く先輩隊員の彼女の活動に協力して、町の貧しい子どもたちと、算数遊びをしに来ました。先週はほぼ、この教材作りで費やしたので、けっこう気合いが入っていました。
しかし、20人ちょっとの子どもたちは、算数を学ぶには小さすぎました。また、算数の力が付いていなかったことと、やんちゃ盛りでやかましかったことが、さらに無法状態を生み出しました。
そこで、私が日本の小学校でしていたことと同じことをしました。それは、「怒る」ことです。
残った数人と静かになった部屋で、算数遊びをして、1時間半のここでの活動は終わりました。
その後、彼女の家で昼食をごちそうになりました。写真のおばあちゃんがいつも作ってくれるという料理は、とても85歳とは思えないおいしさでした。
彼女の仕事は、「栄養改善」。貧しい子どもたちとその親に、きちんとした食事を提案する仕事です。
彼女の仕事場を訪ね、2時のバスで戻ってきました。
日本の小学校時代を思い出すことができた、よい一日でした。

2009年2月17日火曜日

くしゃみの音2009.2.16

Achís(アチス)って何だか分かりますか?
日本だったら「ハクション」でしょうね。
これで分かったかな?
そうです。くしゃみの音のスペイン語での表現なんです。
最近、というか前から違うなって思っていたのが、くしゃみの仕方です。人間はみんな同じくしゃみをするとは限らないんです。
ちなみに、私は、「ハァックション」ですが。
私がハパナマに来て、聞いたくしゃみの音は、「クッシュ」、「クッ」、「アックッ」などです。どこかで豪快に「ハッツクショーン!」ってしていたパナマ人がいましたが・・・。
パナマ人のくしゃみは、最後をかみ殺すようなくしゃみなんです。例えるならば、口を出来るだけ開けないようにするくしゃみです。
私の家には、一匹の犬がいます。夕方私がメールをチェックしていると、ベッドの下からいきなり現れるような、しつけ忘れて大きくなったような犬です。この犬が、今日、くしゃみをしていました。どんなくしゃみだったと思いますか? 
こうです。「クッ。」
国が変われば、くしゃみの仕方も変わるって言うことが分かりました。
暑い国でもくしゃみは出るんですよ。花粉症やアレルギーのね。

2009年2月16日月曜日

今日の食事2009.2.15

朝、7時の目覚ましで起きると、スカイプの着信がありました。久米小学校のW先生でした。W先生とは、今度、スカイプでパナマの子どもと日本の子どもをつなごうという計画があります。しばらくして同級生で同じく久米小のS先生もチャットに参加。しばし雑談。内容は、昨日放送された「地球ラジオ」での私のことや、パナマと日本の状況の違いや教師の考え方の違いなど・・・。
日本語だとこんなにもストレスがたまらずに教員同士が話せるんだなと、うれしくなってしまいました。
そして、リアルタイムで聴けなかったラジオをインターネットで聴きました。途中の地震情報でぬけた所は、抜けるべくして抜けたって感じの内容なので、よかったのかも・・・。
昨日も今日も三度の食事を家で食べました。上が朝食、下が昼食(夕食も同じメニュー)です。私のために、野菜やフルーツを織り交ぜてくれています。少ないと思うかもしれませんが、この野菜の量は、パナマの家庭では多いんですよ。朝食の右のさらにある丸い食べ物は、「オハルダ」という、小麦粉を丸くして油で揚げた、パナマでは一般的な料理です。揚げたてはおいしいんですが、食べ過ぎると絶対に太りますね。
そんなわけで、今日の夕方は10km走りました。珍しくちょっと夕立が・・・。大通りの空き地にロシアのサーカスが来ていました。夕方5時と7時半の2度の開演を待つ人だかりの中に、ノルマルの図書館の先生親子がいました。入場料(大人;近く18ドル 遠く8ドル)はちょっと高めです。だって映画が3.5ドルなのですから。見ることのできない子どもたちも多いのではないでしょうか。

2009年2月15日日曜日

こだわり2009.2.14

みなさんは、どんな「こだわり」をもっていますか?
人それぞれ、多い少ないは別にして、こだわりのない人はいないでしょう。
私のお世話になっている家では、ドアを閉めるときの音を静かにするというこだわりをもっています。これは、常識でもありますが、常識の範囲をこえたとき、こだわりになるのではないかと、私は思っています。
昨日と一昨日、先輩隊員の彼が泊まりに来ました。私にとって常識になっていたドアの閉め方は、一人暮らしをしている彼にとっては、常識の範囲を越えていたのでしょう。
ややもすると私たちは、相手のことを非常識な人間だという一言で片付けてしまうことがあります。この家では、部屋と部屋が隣り合っているので、静かに閉めることが当たり前なのです。一人暮らしの彼にとっては、そこまで静かに閉めるのは常識の範囲内ではないのです。
私にもこだわりがたくさんあります。普通の人よりもそれは多い方だと思います。例えば、自分で食べたものは自分で片付けるとか。パナマの人にとって、これは常識ではないのです。食べたものは、その場に置いておくのが常識なのです。片付けるのは、マクドナルドの店員や、家のお母さんです。
すべてのことに共通することがあるとすれば、それは「相手の事を考えること」なのでしょう。ドアの音、紙コップや包み紙、自分の食器。どうしたら一番いいのかを常に考えながら生活することで、こだわりと感じていたことも、常識に近づいていくかもしれません。
今日も早朝、近所のゴミを拾いました。
家のお母さんには、今度からゴミ1袋いくらって払うようになるから、拾わないでって言われてしましました。
でも、これからも拾っていきたいと思います。
これは、私の「こだわり」でしょうか。

2009年2月14日土曜日

ママさんバレー2009.2.13

午前中、マリア(赤いシャツ)が講師をしている算数セミナーに行ってきました。
ちょうど、サンタフェの中学校の先生が、ピタゴラスノ定理を考えさせる授業の提案をしていました。このやり方を聞いたのですが、ぜんぜん意味が分かりませんでした。受けている先生方はどうなのかと思わずにはいられませんでした。
私が意外だったのは、日本の学校では、昼食の後片付けのとき、牛乳パックをたたんで片付けることを紹介すると、すぐにやり始めたのです。それもみんなのジュースのパックを集めながら。すごいと思いませんか。ごみだらけのパナマで、進んでこんなことをする人がいるなんて。ちょっと感動した瞬間でした。
午後、学校に戻ると、体育館で笛の音が。のぞいてみると、ママさん?バレーの大会をしていました。県ごとの対抗戦のようでした。年齢はそうとう高い女性が、にこりともせず、声も出さずに行うバレーボール大会が、私にパナマの違う一面を見せてくれたようでした。私がコーチだったら、声を出さない選手は使わないけどね。
今夜は、地球ラジオの収録日です。ちょっと緊張してきました。

2009年2月13日金曜日

マリエルと新旧調整員と?2009.2.12

名前を覚えることは、先生にとってとても必用な能力です。最近、というか少し前から、人の名前を覚えることが苦手になってきたような気がします。年かな?って思うこともありますが、私より年上の先生でも、人の名前をよく覚えている方が多いですから、年齢とは関係がないのかもしれません。
今週、何かの用事でエスクエラ・ノルマルに来ている先生がいます。写真の彼女は、チャンギノーラ(コスタリカとの国境の町)の中学校の先生をしています。名前は、マリエルさんです。昨日と今日、彼女と数学の話をし、メールアドレスを交換しました。彼女のように、日本の算数の指導法を教わりたい先生はたくさんいます。あいにく、同じ県内ではないので難しいでしょうが、この学校の算数科の先生との関わりしかなかった私にとって、いろいろな先生方と話すことは、とても新鮮です。
また、今日、新しい調整員(JICAでの私の担当)さんが来校しました。今月から交替したばかりなので、あちこちの隊員の任地に行っているようです。
写真の左から2番目の方が、この県の教育局長さんです。名前は・・・・というわけで、今日は、いろいろな方と会えて、勤務時間が短く感じた一日でした。

2009年2月12日木曜日

分数の問題2009.2.11

今日で3日目になります。彼女が算数部屋に通ってくるのは。
彼女は中学1年生。13歳です。月曜日から今日まで3日連続で、算数の質問に来ています。問題は「分数」です。
今日の問題は、3/2+11/3+3/4です。
この問題のポイントは、分母を通分して同じにすることです。この問題では、分母は12になります。次に大事なのは、分母と分子に同じ数をかけることです。彼女は、ここが分からずに苦労していました。つまり、3/2+11/3+3/4=(3×6/2×6)+(11×4/3×4)+(3×3/4×3)=18/12+44/12+9/12=83/12=6 11/12 となります。
約1時間半こんな問題をずっと解いていました。私が気になったのは、彼女の姿勢です。写真のように座る前は、横を向いて、左手でノートも押さえずに書いていました。当然、ノートの数字はぐちゃぐちゃでした。
左手は、ノートを押さえること。正面を向いて書くことを教えただけで、数字が見やすくなりました。日本の小学校だと、小学低学年に教えるようなことが13歳の彼女には身に付いていないんです。
残った8問は、宿題にしました。明日、やってくるかどうかが気になります。

2009年2月11日水曜日

ふと気づいたこと2009.2.10

今、パナマの子供たちは夏休み中です。
日本の夏休には、みなさんはどんなことをしているでしょうか。
もちろん、遊んだり、宿題をするって答える人が多いでしょうね。
中学生や高校生の多くは、部活動に燃えるときではないでしょうか。
では、パナマはどうでしょうか。多くの中学生や高校生は部活動をしていません。
なので、学校がとても静かです。
日本の場合、部活動の練習や練習試合のかけ声や声援が、元気に聞こえてきます。
パナマでは、どこからともなくパナマ音楽が聞こえてきます。
地域にあるバスケットコートやサッカーコートには、夕方4時過ぎから若者たちが遊びにやってきます。
サッカーが一番さかんで、部活動をしていないわりには、みんなとても上手です。
宿題もほとんどないので、3か月以上ある夏休みは、何もすることがない夏休みなんです。
家の手伝いをする子どもも、いなかの方には見かけますが、町の子どもは、自分の茶碗すら洗いません。
自分の部屋の片付けもお母さんにしてもらう子が多いようです。
そのかわり、お母さんの仕事はとても多いです。
宿題まで、お母さんにしてもらう子が多いんです。みなさんも、そういう経験があるでしょうか。
お金のある家では、お手伝いさんをやとっています。お母さんの変わりに、掃除、洗濯、料理をしてもらう人を頼んでやってもらっているのです。
部屋をちらかしても、このお手伝いさんに掃除してもらえます。
ゴミをそこら中に投げ捨てても、このお手伝いさんに拾ってもらえるんです。
これが、パナマをゴミだらけにしている一つの原因ではないかと、私は思います。
世界中には、部活動がない国の方が多いと思います。
日本の学校が、このパナマのようになったとしたらと考えると、ちょっとおそろしいです。
みんなに平等に部活動をする権利があり、平等に勉強をする権利があるっていうことは、すばらしいことです。
私は、こんな日本のすばらしさを、この国の子どもや先生に伝えに来ました。
が、伝えられていません。算数だけでなく、こういうことを伝えなければならないと思っています。

2009年2月10日火曜日

地球ラジオ2009.2.9

私は2/15(日)PM6:00頃にラジオに出演することになりました。
「地球ラジオ」って知っていますか。私は、友人に紹介されるまで知りませんでした。この番組は、NHKラジオ第一で、土曜日と日曜日の夕方5:05~6:50まで放送されているんです。全世界に住む方々に話を聞いたり、日本に住む方からの質問にいろいろな国に住む方々が答えたりするのが中心の番組です。私が出演するのは、「にっぽんチャチャチャ」というコーナーです。たぶん、午後6時過ぎになります。よかったら聴いてください。

今日、私の算数部屋の壁を塗り直してもらいました。小さな部屋ですが、時間をかけてていねいにしてくれました。ついでに、算数部屋のモデルチェンジをしました。今年度から、質問に来た生徒が座れる場所を作ろうと考えていました。そんなわけで、写真のように2つの机を生徒用にフリーにしました。来てくれるかどうかは、これからの私の腕次第でしょうか。

2009年2月9日月曜日

三浦ふづきさん2009.2.8

エル・バジェで、パナマのランを守ろうとしている人たちがいます。
彼らのことを紹介した記事をのせてみました。

パナマで発見された新種のランに日本人女性の名前が
2008年08月03日10時45分 / 提供:PJ

パナマで発見された新種の野生ランに「Sobralia fuzukiae」という名が日本人女性の名前にちなんで付けられた。(写真提供:アンドレス・マドゥーロ氏) 写真一覧(2件)【PJ 2008年08月03日】- 中米・パナマで発見されたランに日本人女性の名をとった学名がつけられた。パナマのボカスデルトロ県で発見された新種のランは、パナマのラン栽培家アンドレス・マドゥーロさんが発見、ラン分類学者Dr.R.Dressler氏は、パナマで絶滅の危機にある野生ランの保護活動を行っていた三浦ふづきさんの名をとって「Sobralia fuzukiae」と命名された。
 「Sobralia fuzukiae」は3cmほどの淡い黄色の花びらに、中央には白地に赤紫色の斑点のあるリップ(唇弁)と呼ばれる花びらを配している可れんな野生ランである。
 パナマのランを保護する活動を行っている日本のNGO(非政府組織)、COSPA(コスパ、パナマ野生蘭保護活動、以下COSPAと記す)のパナマ事務局長であった三浦ふづきさんは2005年パナマに移住し、地元の人たちと協力して絶滅の危機にあるパナマの野生ランを保護する活動を行っていた。彼女が一番力を入れていた活動はエスピリト・サント・オーナー制度という、パナマの国花であり、最も絶滅が危ぐされ、ワシントン条約付属書Ⅰにも掲げられているエスピリト・サント(学名:Peristeria elata)の1株オーナーを募集し、地元NGOの人たちがその資金で種子からエスピリト・サントを育て、自然植生地に戻していく活動であった。
 しかし2006年1月、三浦さんは志半ばにして病に倒れ、そのままパナマの地で亡くなってしまった。三浦ふづきさんの生前の活動に敬意を表して、新種のランに彼女の名前が命名されることとなった。この新種のラン「Sobralia fuzukiae」はオーキッド誌(American Orchid Society)に発表され、その論文中には「彼女の友人たちは彼女のことを『パナマ人以上にパナマ人だった』と、彼女がいなくなったことを深く悲しみ、彼女が愛したパナマのランに彼女の名前が残ることを望んだ。」と紹介されている。
 そんな三浦さんの遺志を受け継ぎ、COSPAとパナマの地元住民組織は協力して現在もパナマの野生ランの保護活動を続けている。COSPA代表の明智洸一郎さんは「ご覧のように可れんな美しい花です。彼女の名前は永遠にランの名前として残ります。大変名誉なことで皆で祝ってあげたいと思います。」と話した。
 COSPAではパナマの野生ランの保護のための寄付とパナマの国花エスピリト・サント(Peristeria elata)オーナーを募集している。詳細はパナマ野生蘭保護活動COSPAホームページまで。
 また来る8月9日にはCOSPA主催のセミナーが東京・広尾で行われ、駐日パナマ大使館のリッテル・ディアス商務担当官が「パナマの自然と観光資源」と題した特別講演を行うほか、COSPAのエコツーリズム開発と自然資源保護支援の活動報告も行われる。エコツーリズムと自然環境保護活動に興味ある方はぜひ参加してほしい。

私も、このエスピリト・サントのオーナーになってきました。
1年間の会費(管理費)が3000円(パナマでは20ドル)です。
私の名前の札のそばに、この花が咲くのを見てから日本に帰りたいです。
三浦ふづきさんのお父さんは、赤いシャツを着た方です。

エコツーリズモ2009.2.7

エコツーリズモとは、簡単に言えば、自然を大切にする山歩きのことです。
3回目のエル・バジェ。今回の目的は、このエコツーリズモに参加することです。
私たちが選んだコースは、インデアナ・ドルミーダ(インディアンの女性が寝ている形をした山並み)を見るコースです。
小高い山の上を目指して、6人の仲間とガイド2人で歩きました。途中、昔の人が大きな岩に書いた絵の説明をしてくれる赤いシャツの少年に会いました。
川沿いを進むコースだったので、所々、小さな滝が私たちの目を楽しませてくれました。
もう少しで山頂だと言うところにあったこの山小屋は、肉をくんせいにするいろりもある調理場のようなところでした。
山頂から見るエル・バジェの町は、自然豊かな町でした。昔、このあたりは火山が噴火してできたカルデラ湖の底だったそうです。その水がペノノメに流れ、直径5kmのカルデラが顔をみせました。このカルデラの上に作られているのがこの町です。
その町があまりに見事だったので、隣の丘の上でジャンプしてみました。(ちょっと意味は分からないかもしれませんが・・・)
帰りに、わが子たちへのお土産を彼女たちの出店で買いました。姉妹?親子?よく分かりませんが、小さい子の方は、弟の娘に何となく似ていたので、写真を撮らせてもらいました。
往復4時間のコースを楽しんで、アプロバカ(環境省)のランセンターに戻りました。

2009年2月7日土曜日

新聞売りのお兄さん2009.2.6

今朝は、私が起きる前に家族はパナマシティに行ってしまっていたので、一人で朝ご飯を食べました。
一人暮らしの隊員は、いつもこんな生活をしているんだろうな、と想像しながら、焼けすぎたパンと薄すぎるコーヒーの朝食をすませました。
通勤途中、7時半頃でしょうか。山積みの新聞乗せた一輪車を引くお兄さんが、私の前を歩いていました。私も歩くのが早い方ですが、このお兄さんもそれに負けないくらい早足でした。売れ残りか、それともこれから売りに行くのか、どちらにしても日本の新聞の売り方とはだいぶ違います。
今日の私の仕事は、これでした。
表が「2」、裏側に「●●」。かず遊びに使うカードの裏の「●●」をペンで書くという仕事です。
書き終わったら、その上に透明のシートと貼ります。こうすると丈夫で何回も使うことが出来るのです。
こんな教材が私の部屋にはたくさんあります。前の隊員さんの努力が想像できます。
午後5時半のバスでペノノメに行くので、今日は2時過ぎに仕事を切り上げました。
さっき洗濯した服が、出発する頃には乾きそうな、いい天気です。

2009年2月6日金曜日

みかんとコーヒー2009.2.5

このみかん、日本のと同じ味だったんです。お父さんの職場のカローブレという町からサンタフェという町までは、ナランハ(みかん)がたくさん採れます。
いろいろな種類のナランハがありますが、これは甘かった。日本の冬に食べるLサイズのみかんと同じ味でした。
お母さんは、最近、毎朝このみかんをしぼったみかんジュースを朝食の時に出してくれます。さとうを入れなくても甘いこのジュースを飲むのが、楽しみになっています。
学校から帰ると、食べた弁当箱を洗い、その後、朝飲んだコーヒーの残りを飲むのが日課になっています。朝、水筒いっぱいに作ったコーヒーは、ちょう1杯分残っているのです。それを飲みながら机に向かうときがとても好きな時間です。
日本のコーヒーと味は変わりませんが、パナマで採れたコーヒーと思うと、おいしく感じます。
みかんとコーヒー。味は日本と同じですが、異国の地で食べたり飲んだりすると、日本とこの国が近いような気がしてきます。

2009年2月5日木曜日

今日の仕事2009.2.4

だんだん生活のリズムも以前と同じようになってきました。
1か月間の休みの間も、だらだらと生活していたわけではありませんでしたが、仕事となると体と頭の疲れ方が違うんです。
日本の先生方の忙しさは殺人的です。特に、2月後半から3月の修行式までの時期は、睡眠時間4時間の日が続いたものでした。それを考えると、もっともっとできる時間と体力はあるはずなのに、体がパナマのゆっくりとしたリズムに慣れてきてしまったのでしょうか。
今日の私の仕事は、今月の17日に隊員の任地(カニャーサス)に行って、子どもたちとする算数遊びの教材をつくることです。1から10までの数字のカードを20セット作りました。このカードをお互いに持ち、2人で同時にトランプのように出し、どちらが大きいかで勝負したり、2枚ずつ出して足して大きい方が勝つゲームをしたりします。数の大小や足し算を遊びながら勉強していきます。
新しいカレンダーを部屋にかざりました。上の写真は、JICAのボランティアが派遣されている国です。今年のカレンダーは、アフリカの国々が多いのが特徴でした。12月までの写真を見ながら、同じボランティアでもずいぶん違うもんだなと、しみじみと感じました。