2008年12月25日木曜日

イブの夜2008.12.24


イブの夜、家族からのプレゼントをもらいました。包み紙を開けると、学校の名前が刻まれた、1本のボールペンでした。アミンタさんが忙しい中、私のために用意してくれたものなので、日本に帰ってから大切に使いたいと思います。
私からは、このケーキをプレゼントしました。パナマのケーキは私にはちょっと甘すぎます。でも、このケーキ屋さんのは私の家で作っていたのと同じようなスポンジで、しかも甘さがひかえめです。好き嫌いがはげしい、この家の次男も全部食べていました。
ケーキに書いてある言葉の意味は、「私たちに、神のご加護がありますように。」です。
とてもアットホームな夜を過ごすことが出来ました。

2008年12月24日水曜日

卒業後は先生に2008.12.23

夕方5時からスペリオールの卒業式がありました。卒業する400人以上の生徒たちが、この黒の衣装に身をつつみ、会場に入って来ました。始まるのが少し遅れたので、外で入場を待つ生徒たちの写真を撮って回りました。授業は17と18の2クラスにしか顔を出していませんでしたが、それ以外の何人かの生徒とも、いろいろな行事や学校内で話したので顔見知りになることができていました。一人一人もらった卒業証書を胸に、彼らは、来年の3月からそれぞれの小学校で先生として働き始めます。これからのパナマをしょって立つ子どもたちを彼らが育てると思うと、わくわくする一方で、ちょっと心配でもあります。何が心配かって?算数をしっかり教えてくれるかということです。
帰りに、カテドラル(教会)をまわってきました。多くの人たちでにぎわうここには、クリスマス前の独特の雰囲気がただよっていました。きれいにライトアップされた姿に感動して帰ってきました。

2008年12月23日火曜日

空とかげ2008.12.22

いつもより10分遅れで家を出ました。家から学校に向かう道はちょっとした上り坂になっています。いつも青空を見ながらその坂をのぼります。今日のパナマの空は私の心をとりこにするくらい、すばらしい模様でした。これが本当の空模様でしょうね。車に注意しながら写真を何枚か撮っていると・・・。
私の影がこんなに長いんです。パナマは赤道に近いせいか、影が短いんです。太陽がいつも真上にあるってことなんです。でも朝はこんなに長いっていうことは、太陽が低い位置にあるっていうことです。当たり前のことかもしれませんが、私は今日初めてこのことに気づきました。
今は、夜の7時半。いつも近所の若者たちがサッカーをしているバスケットコートでは、地域のクリスマスパーティーをしています。私の部屋から20mほどのところに置いてあるスピーカーからは、大音量で聞き慣れた曲がかかっています。 ♪ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る~♪ のところは、♪ナビダ ナビダ♪です。「ナビダ」とは「クリスマス」のことです。パナマのクリスマスはとてもにぎやかなんです。

2008年12月22日月曜日

初映画2008.12.21

昨日に続き、今日もスペイン語の勉強をしていました。午後になり、さすがに暑さとだるさで、昼寝をしようか外に出かけようかという選択肢で、外に出かけることにしました。パナマに来て半年になりますが、今まで一度も映画を見ていません。というのも、パナマの映画は、夕方からしかやらないので、夜は危険なこともあるので、行けなかったのです。
この券を3ドル50センターボ(350円)で買って(子どもは250円)、夕方5時15分から、初の映画を見ました。もちろんスペイン語版です。周りは、家族連れだらけでした。これなら絵を見ているだけで分かると思って選んだのです。
言葉が分からなくても何となく笑える映画でした。
日本ではもう見られるのでしょうか?見てない人のために内容を書くのはやめておきます。
映画館の中は、日本とほとんどおなじようです。ただ、スクリーンがずいぶん高い位置にありました。映画が始まってどうしてなのか分かりました。パナマ人は大きい人が多いので、スクリーンが低いと前の人の頭がじゃまで見づらいのです。
夕食は偶然会った隊員さんと近くで食べました。今度、この隊員さんの任地に行く約束も出来ました。
明日と明後日行けば、休みです。何か、出かける前の日の子どものような気分です。

2008年12月21日日曜日

時間2008.12.20

「夜の7時よ。7時ちょうどよ。」と昼間の電話で念を押され、「分かってます。私は時間を守りますよ。7時ですね。」と答えた私。
今夜は同じ学校で夫婦で数学の先生をしている方の娘さんのキンセアニョス(15歳の誕生日)です。親がどれだけこの日を大切にしているか、この電話からも伝わってきます。歩いて10分ちょっとのところにこの会場があります。まだ生ぬるい風を浴びながら7時ちょうどに歩いて会場につきました。おかしいぞ。時間を間違えたかな?人が誰もいないぞ。 
私「ケイだけど。」 ネ「どうしたのケイ。」 私「今日、7時だったよね。電話でも確認したよね。」 ネ「そうだけど、私8時ごろになっちゃうのよ。」 私「・・・」 ネ「ごめんね。ちょっと待っててね。」 ああ、やっぱりこういう大事な日でも遅れるんだとパナマの習慣を読み切れなかった私。帰ってしまおうかとも考えましたが、ここは頭を切り換えよう。まずは落ち着くためにコーヒーを飲もう。近くのパン屋で買った、少しのパン菓子とコーヒーをゆっくりと。通りに出るところに一度泊まったホテルが。クリスマスの飾り付けがとてもきれいだったので写真を一枚撮りました。だいぶ落ち着いたので会場に戻り、同じ学校の秘書の方に案内されて中に入りました。
今日の私の仕事はカメラマンです。そう割り切ってまずは1時間ちょっと。指示されたとおり、来た人みんなに声をかけて写真を指定された場所で撮りました。実際にパーティーが始まったのは9時でした。案内状に7時って書いてあるのに始まるのが9時です。その後は一通り写真を撮り、バッテリーがなくなり、私の仕事は終了。食事をたいらげ、家に着いたのは夜中の1時を少し回ったころでした。
パナマの習慣おそるべし!
我が娘と同じくらいの子がいたので撮ってみました。

2008年12月20日土曜日

マルティン・トリホス大統領2008.12.19

JICAへの報告書をインターネットで送る作業が手間取り、学校に着いたのが9時半近くになってしましました。すると玄関前の庭で写真を撮る女性3人組が・・・。写真の左から2番目が算数科のディアネルサ先生です。青空の下でいい記念写真が撮れました。何で撮っ
ているの?と聞くと、だって、バカシオネス前だからと答える彼女たちの返事に、なぜか納得してしまいました。
その後、教育委員会にセミナーの報告をしてきました。彼女がラケルさん。ベラグアス県のセミナーのまとめ役をしています。来年プランの話も少ししてきました。(と言ってもカウンターパートのホセが全部話してくれたのですが)
青いシャツの彼女は生徒です。1年間の成績表をもらっているところです。成績は、スペイン語と算数のみ。その合計の満点は1800点。彼女は何点とったのでしょう。600点以下だと来年補習を受けなければならないそうです。
そして、学校の周りにはおびただしい警察官が。道路も封鎖しています。体育館ではパナマのマルティン・トリホス大統領大統領が、パナマ各地の学校で成績が優秀だった生徒たちに、パソコンを授与していました。初めて見る大統領は私が持っていたイメージよりもだいぶ若く見えました。パソコンは全部で400台以上ありました。どこからそんなお金が出るのでしょう。もっと貧しい人への対策に力を入れた方が・・・って考えるのは私だけでしょうか。
卒業式でもここでも、頭のいい(頑張った)生徒は、いろいろもらえる国なんですね。

2008年12月19日金曜日

卒業式とペスカード2008.12.18

午前中にJICAに提出する報告書を書き上げました。
午後3時から体育館で、12年生の卒業式が行われました。卒業生の入場、来賓のあいさつ、校長のあいさつ、生徒代表のあいさつと日本と同じような形で続きました。この後が違いました。生徒の中で成績がすぐれていた数名の表彰がありました。壇上に上がり、賞状と賞品を受け取ります。賞品の一つはテレビでした。日本の卒業式とはここが違いますね。その後、500人の卒業生一人一人が名前を呼ばれ、壇上で卒業証書をもらっていきます。会場は生徒の親たちでいっぱいでした。
卒業後は、スペリオール課程に進みます。小学校の先生になるために小学校で教える内容のおさらいをしたり、授業の練習をしたり、小学校に実習に行ったりして3年間勉強をするコースです。今までは午前中の授業でしたが、来年の4月からは午後からの授業になり、制服も変わります。
夕方、同じ学校の美術の先生にさそわれ、知り合いの中学校の技術の先生の家でペスカード(魚)をごちそうしてもらいました。彼の家は、私の家から車で5分くらい走ったところにありました。この地域には前に1度だけ、走りに来たことがありました。とても静かな住宅街でした。彼は、20年ほど前、日本に数か月住んでいたことがあるので、日本語がとても上手に話せます。近所に住む女性も招待し、小さなパーティです。今日はめずらしく昼間からすずしい風が吹き、とても気持ちの良い夜でした。そんな夜に夜空を眺めながら食べた鯛の蒸し焼きの味は、格別でした。明日へのエネルギーをもらった感じです。
あと3日学校に行って、1か月間の夏休みをもらいます。この1か月は旅行者になろうと思います。

2008年12月18日木曜日

三井さんの仕事2008.12.17

昨日閉まっていたサンダル屋さんに行きました。お昼を食べた後に表に出ると、そこは夏のパナマの強い日差しが私を迎えてくれました。
サンダル屋さんは開いていました。
1月20日のわが子たちの誕生日の贈り物にサンダルを2足買いました。昨日、子どもたちの足のサイズを妻に聞きました。私が帰る頃には、何cmくらいになっているのだろうと想像してみました。というわけで、少し大きめのサンダルを買いました。
仕事を少し早く切り上げ、同じ町で働いている先輩隊員の三井さんの職場を見学させてもらいました。三井さんは、イパコープっていうところで働いています。農業をする人たちを助ける仕事です。パナマでも農業をする人たちは、山奥に多く、収入も少なく生活が貧しいです。そんな人たちに作物の育て方を教えたり、収入を多くするための作物の売り方などを教えたりしています。
同じ教える仕事ですが、私とはだいぶ違った仕事の内容です。
でも、仕事場は2階にあり、エアコンのきいたきれいなところでした。
やっと今日で、数学セミナーが終わりました。先生の参加者は少なかったですが、今年の私の大きな仕事が終わったわけです。
そういうわけで、今日は三井さんと夕食を食べてきます。私の中では、ちょっとしたフィエスタです。

2008年12月17日水曜日

生徒が売り子に2008.12.16

いつもより1時間遅れで学校に到着。来年のスペイン語で書かなければならない活動計画が終わらず、家でパソコンと電子辞書とで格闘していました。ようやく形になり、学校へ向かう途中、顔見知りばかりの行進に出会いました。聞くとイエス・キリストが亡くなったことに関係した行事なんだそうです。(くわしいことはスペイン語が分からず、説明できません)
悲しげな音楽を生徒たちが演奏しながら、朝の8時の静まった町中を、行列はゆっくりと進んでゆきました。
仕事のあと、用事があったので、ちょっと回り道して帰りました。夏休みに入り、クリスマス前ということもあり、町中は道ばたで小物を売る店がずらっと建ち並んでいました。
そんな道をぶらぶらと歩いていると、「ケイ!ケイ!」と呼ぶ声が。声の方へ近づいてみると、この赤白のシャツを来たノルマルの女の子でした。休みに入り、店番をしているようです。少しすると、両親が来ました。私と同じくらいの年齢でしょうか。一緒に写真を撮ろうとしましたが、写真はあまり好きではない様子。
その店の隣に駐めてあった貨物トラックには、ピーニャ(パイナップル)が売られていました。1つ50円。ちょっと大きいのは75円です。これを売っているお兄さんにビデオを向けながらインタビュー。明るい笑顔でパイナップルを売るこのお兄さん、しっかりとビデオに記録しました。
明日は、閉まっていたサンダル屋に、もう一度行ってみたいと思います。

2008年12月16日火曜日

パン屋さん2008.12.15

昨日、ペノノメという町で一番おいしいといううわさのパン屋さんに行きました。最初は、おいしいかどうか分からないので、小さなプディング(20円)だけ買って食べてみました。一口食べて、そのうわさが本当だったことが分かりました。友達が買った違った種類のパンも一口。「おいしい!」
思わず、8つも買ってしまっていました。
そのお店の中から、パンを作っているお兄さんが見えました。「プエデ・トマール・フォトス?」(写真を撮ってもいい?)と聞くと、笑顔でうなずいてくれました。てぎわよく次々にパンをねじっていく様子は、遊んでいるように見えるほどでした。カメラを向けているからでしょうか、そのスピードは増していきます。仕事ってこんな風に、自信を持って、楽しくするってことが大切なんだなって思いながら、その様子をしばらく見入っていました。
パン屋の店先には、このようなパンだけではなく、ケーキやフランスパンのような大きなパンも並んでいます。
残念ながら、全部を食べることはできませんでした。
次に訪れたときには、あのパンを食べようっと。
セミナー残り2回です。頑張るぞ!

2008年12月15日月曜日

ドラム缶風呂2008.12.14

ヨッシー村の第2日目。病院に検査のため行っている、この家のお母さんにかわって私たちの食事を作ってくれたのが、茶色のシャツを着ているオマエラちゃんです。今日の朝ご飯は、ジュカ(山芋)と、豚肉の唐揚げです。ジュカは、昨日山で採ってきた物。豚は、お父さんが豚の頭の部分の肉です。
朝食の後、昨日水が出なくて入れなかった、ドラム缶風呂の初体験をしました。これは、吉見隊員たちが作った物です。ドラム缶(1200円)を切っただけの簡易式のお風呂ですが、水シャワーに慣れてしまっている私たちにとっては、とてもありがたいものです。言うなれば、温泉に入ってくつろいでいるって感じでしょうか。4人で、2回ずつ入ってしまいました。
その合間に、おわん作りをしました。昨日採っておいたこの実を適当な大きさに切り、中の部分をスプーンで取り出して、なべで15分ほど煮込み、さらにきれいに中味をスプーンで取ります。これを、2、3日天日で干すとおわんの出来上がりです。何を入れて飲もうか考え中です。最初に飲むのは、コーヒーにしようかと思っています。
帰りのバスは、途中で坂を登れず、乗っていた人全員が坂の上まで歩いていき、そこでバスだけが登ってくるのを待つなどのハプニングなども体験しながら、無事帰ってきました。
私の心の中で、何かが変われるような感じがする2日間の体験でした。
今度は、パナマ帽子を作ってもらいにまた、訪れたいと思っています。

ヨッシー村へ2008.12.13

乾期に入り、快晴の土曜日、待ちに待った吉見隊員の活動地、ビジェーテ・デ・サンミゲルに来ました。
ここは、まずサンチアゴからバスで1時間半走り、ペノノメという町で降り、そこからバスを乗り換え、さらに2時間弱走ったところにある村です。「ビジェーテ」とは、「谷」という意味で、この村は山の中の谷にある小さな村です。この村から先は、急な道で、バスは進むことはできません。そこで農業を農民たちに指導する活動をしている、18年度2次隊の吉見隊員は、この家にホームステイしています。ほとんどの隊員がこの地を訪れているようで、ここでは、水は出ますが、電気がありません。夜は、明るくしたいときは、ランプを照らします。今日は、お父さん(写真右)や、親戚の子、近所の子たちが私たち3人を温かく迎えてくれました。
夕方、急に水道が故障して水が出なくなり、みんなで川に水浴び(入浴)に行ったり、夜は、吉見隊員のギターで遅くまで歌い明かしたりして、1日目は過ぎて行きました。

2008年12月13日土曜日

市場のむこうのレストラン2008.12.12

今日のセミナーは、先生の会議が長引いたため、なくなりました。
荷物がいっぱいのリュックと、カメラバックを背負って会議の部屋へ。着いて5分もしないうちに会議は終了。今日はお昼ご飯は外で食べる予定だったので、そのまま外へ。私の後ろで、私を呼ぶ声が。
オレンジ色のシャツを着た秘書の女性でした。彼女たちと一緒に、1ドル50の昼食を食べることにしました。
ずいぶん遠いんですね。と言うと、もうちょっと、あっちよ。と市場の中を通り抜けるコースを。ここは初めて通る道でした。とても新鮮で写真に撮りたくなる光景がいっぱい。思わず、写真を撮りまくっていました。
その市場の一角にサンダル屋がありました。今まで見たサンダル屋よりデザインがいい。妻に一足買いました。6ドル50(650円)。
学校に着くころ、アメリカ人のボランティアの夫婦の姿を見かけました。右の彼が、この夫婦の息子で隣が奥さんだそうです。いよいよ夏本番という快晴の空の下で、学校をバックに最高の写真が撮れました。
私もこの場所で、こんなシュチュエーションで家族と一緒に一枚、写真を撮れたらいいな。

2008年12月12日金曜日

アブリコをかぶって2008.12.11

今日は、8時から先生全員の会議があるので、算数のセミナーはしませんでした。
学校の中は、とても静かです。それというのも、テストが終わってしまったクラスが多いからでした。
廊下に2人の女の子がいました。ひとしきり話をして、会議までに時間があったので、写真を撮らせてもらいました。私が頼んだ場所(中庭の私が好きな木の前)でポーズをとってもらったのがこの写真です。大きな木の存在感が感じられる中庭で、白の制服の似合う女の子が2人で仲良く写真を撮られているってところでしょうか。
この後、ちょっと寄り道し、民族衣装を貸し出す部屋?に入って、そこにあったアブリコをかぶって、写真を撮ってもらいました。アブリコとは、スペインの王子で地獄の死者?なんて言っていたような気がしますが・・・。これはちょっともう一度聞いてみることにします。フィエスタ(お祭り)では、このお面をかぶり、赤と黒のしま模様の服を着ておどるそうです。このカスタニョエラ(カスタネット)を両手に持つんです。日本のカスタネットとは、作り方が違いますね。音も、日本のより低い感じで、とてもいい音色でした。
学校の帰りに、ドゥー・イット・センター(ホームセンター)に行って方位磁石をを買いました(200円)。
これで、山に登っても方向だけは間違えないですみそうです。

2008年12月11日木曜日

手帳2008.12.10

私がいつも持ち歩いていて、1日のできごとを書き留めているもの。それがこのJICA手帳です。
この手帳には、時間を追って、その日に何をしたのかを大まかに書いています。今日は、この手帳に書いた、今日1日のことを書いてみようと思います。(ちょっと付け足します)

 4:00 起きる。セミナーの教材作り。印刷。シャワー。
 6:00 朝食(パン、焼き肉、マイース、パパイヤ、コーヒー)
 6:35 家を出発。
 6:50 学校到着。英語の先生とおしゃべり。
 7:30 12年担当教師のセミナー(3人参加)。
      テーマ;ピタゴラスの定理
10:00 10年担当教師のセミナー(参加者無し)。
      テーマ;タレスの定理?(中点連結定理かも)
11:00 11年担当教師のセミナー教材作り。
12:40 昼食(部屋で作ってもらった弁当を食べる)
 1:00 11年担当教師のセミナー教材作り。
 3:00 仕事を終える。門番?のおばさんとおしゃべりしながら帰る。
 3:30 家に到着。メール、ブログ、今日の写真の整理など
 7:30 夕食。
      教材作り、メール、ビデオ(日本昔話など)、読書。
11:00 寝る。

      ※ 今は夕方で、夕食以降は予想で書いてしまいました。    
      

2008年12月10日水曜日

セミナー3日目と学校の庭2008.12.9

数学セミナー3日目がなんとか終わりました。今日は、ホンジュラスの小学校の授業の仕方のDVDを観てもらいました。言葉はスペイン語版なので、授業への取り組み方がよく分かってもらえたようです。
次に、授業で注意しなければならないことを19項目あげたプリントを用意し、それについて説明をしたり、話し合ったりしました。
最後は、インターネットの動画教材を紹介しました。日本にいるときに、いつも使わせてもらっているTOSSのサイトから選んで、紹介しました。日本語での説明があまりないものを見せたつもりです。これからこんな教材を作っていく必要があるんでしょうね。と伝えてまとめてみました。みんな興味をもってパソコンに向かっていました。先生によっては、計算が不得意なんだなって今日分かりました。
学校の玄関を出ると、前に算数部屋のエアコンを直してくれたおじさんがなにやら庭でしていました。
クリスマスに向けて、庭に飾り付けをしていたのです。奥に見えるのが、キリストが生まれた家です。
周りのフェンスには赤い電球がくくりつけられています。今夜は、クリスマスの歌を歌うイベントがあるようです。夕食後、ちょっと行ってみようかなと思ったのですが、お母さんがまだ帰ってこないのをみると、きっと今頃、この歌を聴いているのでしょう。時間は午後8時を回りました。
お腹がすいたので、今から近くのスーパーに行こうかな?

2008年12月9日火曜日

母の日2008.12.8

パナマ中のお母さんにとって今日は特別な日です。
「ディア・デ・マードレ」(母の日)だからです。偶然、この日は、アミンタさん(お母さん)の誕生日でもあります。
朝、パナマで買ったプレゼントを贈りました。ショルダーバックです。女性に贈るものでセンスが問われるといいますが、本当にそうですね。
つくづく、私にはセンスがないなと思ってしまいます。今から来年のことを考えては笑われるかもしれませんが、もうちょっとセンスの良いものをあげるか、日本食を作ってごちそうするかしたいと思います。
先日、日本のわが家から送ってもらったお米でご飯をたいて食べたところ、「とてもおいしいねこのお米。エクセレンテ(美しい!)。」ってほめてもらいました。
だから、日本食も喜ばれるかもしれないと思います。私ができるのは、お好み焼きぐらいですが、野菜不足のパナマ人にとっては、ちょうどよいかもしれないって思います。
誕生日のお祝いに知人たちが訪れる中、同じ学校の秘書の家族が来たときに、一緒に写真を撮りました。この女の子は10歳(小学5年生)だそうです。しっかり、耳にはピアスがしてありました。
これから夕食です。今日は、1日家にいたので、夕食後スーパーにでも行って、黄色いジュースを買ってきたいと思います。

2008年12月8日月曜日

小さなお客様2008.12.7

朝起きてから、パソコンに向かって、今までの日々をブログに書き続けました。書き終わったのはお昼を少し過ぎてしまいました。
ちょうどそれが終わろうとしていたとき、この小さな3人のお客さんが私の部屋に入ってきました。
彼女たちは、アミンタ(お母さん)の妹の娘たちです。彼女たちは首都に住んでいて、母の日のプレゼントを渡すために、サンチアゴに来たということでした。お母さんが買い物をしている間、ちょっとお留守番です。
昼食を食べた後、彼女たちに鶴と紙飛行機を折ってあげました。左側の6歳の子と右側の4歳の子は、紙飛行機に興味を持ったようで、何度も家の中で飛ばして遊んでいました。
ちょうど我が子もこの6歳の女の子と同じくらいの身長でしょうか。
3人ともとてもおとなしく、しっとりした雰囲気の子たちでした。

クリスマスの飾り2008.12.6

パナマで修理しているパソコンを受け取りに行くために、朝6時のバスでサンチアゴを出発しました。
カジェ・アルヘンティーナ沿いにあるコンピュータ・ドクトーラというお店に着いたのは10時を過ぎた頃でした。
コンピュータの症状を聞き、メモリを1Gに増設してもらう間に、ちょっとお買い物に。
目当ては、8日の母の日(この日は偶然、アミンタさんの誕生日でもあります)のプレゼントと、登山用品を買うことです。
1時間以上悩み、プレゼントはハンドバック(2600円)にしました。私が買ったのは、登山靴(4000円)とリュック(3600円)です。
この日の帰りは、アメリカンハイウェイの一部がまた崩れていて、渋滞していたので、3時に出発したバスがサンチアゴに着いたのは7時半でした。
家に帰るとみんなは留守の様子。持っていたかぎでドアを開けて中に入ってビックリ!
家の中は写真のように模様替えされていて、豆電球の明かりに包まれた小さな世界が広がっているようでした。ほとんどの人がカトリック(キリスト教の一つ)のパナマでは、クリスマスは1年で最も大切な日なのです。それがこの飾りからも分かりました。
明日は、松の木を買ってきて飾り付けをするのだそうです。
どんな木になるのか楽しみです。

蛙の子は蛙2008.12.4

帰りに音楽室も前を通ると、近所に住む音楽のアクセル先生が。
「ケイ。息子が音楽室にいるから、さあ、入って。」
バスケット好きな高校1年生。まず、スローな曲を1曲、キーボードで弾いてくれました。もちろん、両手を使って。そのご、ビートルズをギターで。
いつ練習しているのでしょう。バスケットは今ひとつですが、音楽がこんなに出来るなんて。まさしく、「蛙の子は蛙」なんですね。
家の息子と娘は1歳から音楽教室に入っています。こんな風に弾く日がやがて来るのでしょうか。そんなことを考えさせられたひとときでした。
学校の出口近くでは、実習を今日終えたスペリオールの生徒たちが数人。
「オラ、ケイ!」(やあ、ケイ)ということばから・・・。
「何それ?」と赤いシャツの彼が見せてくれた映像は、先日パナマで大ニュースになった洪水の様子でした。彼の家は、ボカスデトーロというところにあり、家まで行く途中の道が増水した川の水で壊されている様子でした。幸い彼の家のある地域は、山の上の方にあるため、被害は少なかったようです。
彼らとはけっこう話す仲であったので、学校の門が閉まるまで雑談を楽しみました。といっても私が分からない言葉の方が多かったのですが。
とっても人なつこくて、まじめな生徒たちです。
来年の3月からどこかの小学校の先生として、りっぱに働いていくことでしょう。